「いただきます」の対語は「いただきました」

学校給食で「いただきます」と言うことに対して、「給食費を払っているのだから言う必要はない」と学校に文句を言ってきた親がいるということが教育の研究発表会であり、それが食事に関する学会でも取り上げられたことがありました。いただきますというのは、食べさせてもらっているから言っているのではありません。このことを講演で話したときに、「食事を作っている人に対しての言葉」と発言した母親世代の人がいました。母親に感謝して、ということを言いたかったのかもしれませんが、これも違うような感じがします。
私たちが生命を維持するために、動物や植物の生命をいただくことに対して言っているのだという考えや、自然の恵みをもたらしてくれた自然環境に対して、さらに神様に対してと、さまざまな考えがあります。どれが正解ということよりも、少なくとも今、目の前にある食べ物がいただけることに感謝して、という気持ちで「いただきます」と言っています。
「いただきます」と言って食べ始めて、食べ終えたときに何と言うのが正しいのかと聞かれたら、普通は「ごちそうさま」とか少しだけ丁寧に「ごちそうさまでした」となるはずです。しかし、“長野県”ではいただきました」と言っているということが広まってきました。これは全国の特徴を紹介するテレビ番組で取り上げられてから、「いただきました=長野県」というのが定説として広まってきました。
それを見て、なるほどと言うのではなく、本当かと疑問を投げかけるのが私たちの特徴で、さっそく長野県の栄養関係者に問い合わせたところ、その通りとの返答でした。この話を日本メディカルダイエット支援機構の理事長が義父に話したところ、「岐阜でもいただきましたと言う」と話していたということです。ひょっとすると、と思って静岡の同年輩の研究者に連絡をしたら、やはり「いただきましたと言う」とのこと。長野県だけではなく周囲にも広がる方言ではないかと若い世代にリサーチしている機関に聞いたら、若い人は「ごちそうさまが当たり前で、いただきましたは聞いたことがあるが使っていない人が多い」とのこと。
理事長は長野県と隣接する新潟県の生まれですが、高い山が地域を隔てている影響なのか、新潟県は“いただきました文化圏”ではなかったとのことです。
しかし、よくよく考えてみると、「いただきます」という言葉の対語(対義語)は「いただきました」が正しい組み合わせで、食べ物を生命維持、知的活動のエネルギー源と考える立場にとっては、食事をしてエネルギー源を体内でエネルギーとすることができたので、エネルギーをいただきましたという気持ちもあります。
実際に、どんな言葉で食事を締めくくっているのかというと、当法人のメンバーは「ごちそうさまでした」と少しだけ丁寧な言葉にしていますが、理事長は「いただきました、ごちそうさまでした」と言葉を重ねて、奥さんに感謝を述べているとのことです。