「すごい」と「すごく」の認識ギャップ

「すごく」と言うべきところを、「すごい」と言う人がいるのは、凄く違和感を感じます。それはメディアも同様で、言葉で「すごい」と言っても文章になると「すごく」と書き直されています。文字になると元から「すごく」なのか「すごい」を直したのはわからなくなります。ところが、テレビ番組のテロップは言葉の上にかぶせてあるので、すごいとの言葉をすごくに直したら、すごくわかります。
国語的にみると「すごい」と「すごく」の使い分けは明らかです。形容詞である「すごい」には名詞が続き、すごい人というような使われ方をします。副詞の「すごく」には動詞か形容詞が続きます。すごく痛い、すごく寒いという使われ方が正解です。すごい絵が飾られたと言うと、一つの絵だけが飾られていることになり、すごく絵が飾られたと言うと数多くの絵が飾られていることになります。このようにはっきりとしたことなら間違いがあっても判断がつきやすいのですが、若者言葉として使われると、物凄い絵が飾られているのかと思って見に行ったのに、ただ数が多いだけだったとか、その逆のこともあります。すごい絵が、すごく飾られているときには、どうなるのだろうと考えると、きっと「すごい絵」となるのだろうとすごく思われます。
普段は正しい言葉づかいをしているのに、友達との会話のときだけ流行語のように「すごい」を使っている人もいて、こういう人はすごいでは通じないと思われるときには、しっかりと使い分けてくれています。
正式な文章ではおかしな言葉であっても、キャッチコピーのような使われ方をするときには、すごいもいいな、と感じることがあります。その好例は「すごいかわいい」「すごい楽しい」です。めっちゃ、ごっつう、でら(どえりゃあ)と表現されるところを、すごいで言い切ってしまうことで、普通に凄くではなくて、恐ろしいくらいに凄いという印象になります。これは、いわば凄い表現で、凄く感じ入るところです。