「やぶさかでない」の認識ギャップ

「つぶせ」との指示を、怪我をさせろという意味で捉えた選手と、そのくらいの気持ちで行けと言ったという監督・コーチの間に乖離があったという報道を、たまたま一緒の場所で見ていたネット関係者と認識ギャップの話になり、その延長で「やぶさかでない」という言葉の認識ギャップについて話しました。怪我をさせるかどうかのギャップではないとしても、商売上のギャップであった場合に会社の命運、そこで働く人の命運にも関わってくることにもなりかねません。
やぶさかは漢字では吝かと書きます。その意味は「気が進まない」と「気乗りがしない」というマイナス思考、後ろ向きな姿勢を示す言葉です。これの否定形の「吝かでない」となると「やりたくないわけではない」とか「やっても構わない」という肯定的な姿勢を示す言葉になります。これが本来の意味で、相談事や提案を断る意味では使わないものと思っていたのですが、断る意味で使う人がいます。いますどころか、会社をあげて、場合によっては業界をあげて使っているところがあります。
そんな会社に入社した人は、世間の常識とは違った意味で使っていることを気づかずに、期待をさせたまま引きずり、後になってどんでん返しの被害を与えているのに、それが気づかないということになります。話題の始まりとなった大学スポーツの反則問題も、こういったことがあるのでは、という話をしました。
どんなふうに間違った使い方をしているのかというと、「やりたくないわけではないけれど積極的ではない」というのはまだよくても、「やるつもりはない」という意味で使っている人がいて、そんな使われ方を私たちもされたことがあります。そのような認識ギャップがあることがよくわかっていたので、どちらの意味であるかを尋ねて、被害を受けることはありません。
これは当方の感覚だけかもしれないのですが、IT業界でよく使われています。提案ごとや相談への返答へのリターンに使われることが多く、一緒に仕事をさせてもらっている研究者の先生方から、「やぶさかでないと言われたので、準備を進めていたのに、無駄になってしまった」とか「思わせぶりな態度で期待をさせていた」という苦情の言葉を聞くことになりました。私たちが付き合っている業界関係者には「やぶさかでない」の認識ギャップの話をして、くれぐれも使い間違いがないようにという共通認識をもってから進めるようにしています。