事件報道に発達障害と書かれないか心配する日々

なんでこんなことを起こすのだろうかと考え込んでしまうような事件が増えています。発達障害を理解するメディアの方が増えるのはよいことで、発達障害についてメディアを通じて発信する機会が増えているのもよいことだと認識しています。それは間違いがない気持ちなのですが、余分な情報として発達障害が取り上げられることについては、疑問を感じているというか、困った出来事だと思っています。
元官僚トップの子どもに対する事件報道で、子どもが発達障害であったことが伝えられたのをきっかけにしたかのように、犯罪や社会的な問題を起こしたことが報道されるときに、その原因追求の中に発達障害の有無が取り上げられています。“有無”と書いたのは、発達障害であったという事実が書かれるのならまだしも、「発達障害ではなかった」ということが書かれていると、なぜに、わざわざ書いたのか、何か思うところがあるのかと勘ぐってしまいます。
事件の当事者が発達障害で、そのことが事件を起こすきっかけになっているなら、表現の自由があるメディアが取り上げることに口を挟むつもりはありません。また、母親が虐待をしていたのが、子どもの発達障害で精神的に追い詰められていたという報道も、ある程度は仕方がないことであろうとは思います。発達障害が関係していたことが明らかであるなら書くことも、またテレビ番組でコメントするのも認められるだろうと認識できます。
しかし、まるで枕詞のように「発達障害」と書かれると、あたかも発達障害があると事件を起こす、事件の原因になるという間違った認識をされて、これが差別につながることを恐れています。差別を恐れるあまりに、隠してしまう親が増えることにもなりかねません。発達障害は、生涯治ることがないとされることから、子どものときの発達障害が大人になってからの行動に影響していると考える人がいるかもしれませんが、改善されても治ることがないという事実がわかっていれば、隠して治療や発達支援を受けさせないことが、かえって問題を起こす要因になる、差別を広げるということを理解してほしくて、こんなことを書かせてもらいました。