信じる者は“足元を”すくわれる

すくわれるという言葉は、漢字にすると救われると掬われるがあります。信じる者は救われるというのは、何に救われるのかというと、元々の言葉が意味するのはイエス・キリストです。イエスを信じると救われるというのは聖書の中にあることですが、イエスに限らず、救われたいという気持ちになったときに信じたい気持ちになるのは当たり前のことかもしれません。
もう一つの掬われるほうは“足元を”と一緒に使われることが多くて、卑劣な手段で隙を突かれて失敗することを指しています。他人を信じるのはよいことではあるものの、信じすぎて騙されたり、失敗をしたのでは仕方がありません。信じないことには行動を起こせないのは当然のことですが、信じすぎると、ついついのめり込み、正常な判断ができなくなったり、周囲から聞こえてくる注意喚起が耳に届かない、目に入って来ないということにもなりかねません。信じながらも疑うというのは潔い態度ではないと受け入れがたい気持ちになる人がいるのはわかるのですが、一つの方向を見るときに、少しくらいは他の方向を見て確認するようなことはするべきです。
道路に立っていて、自動車は右側からしか来ないところであっても、左側から交通規則を守らない自動車が来ないとは限りません。自動車だけでなく、自転車が来ることもあります。歩行者であっても走ってきたら追突は事故にもなります。ということで、右を向いたら左もチラッと見るべきです。
なんで、こんな話をするのかというと、よい話をされて皆が、それに注目すると他のことが見えなくなります。健康に関する情報であっても同じで、いろいろなメディアが同じようなことを流しているときには、違う側面もあるのではないか、間違ったことを言っていないのか、という気持ちで右側ばかりでなく左側も見ること、つまり「右向け左」の発想もあるべきだと考えます。
政治や経済のことを言っているのではなくて、あくまで健康に関わる話としてメッセージを送っているのですが、健康情報だけは信じすぎて足元を掬われることがないようにしてほしいのです。