長寿村の高齢者の食生活は正しいのか

長寿研究の元祖の地とされるのは“棡原村”です。合併によって今では山梨県上野原市棡原(ゆずりはら)となっていますが、長寿村として知られるようになったのは長寿者が多いことだけでなく、高齢者よりも先に亡くなる人が増えたことがきっかけでした。この“逆さ仏”、つまり親が子供の葬式を出すことが増えたことは、これまでの常識からすると特異なことであることから研究者に注目されました。
高齢者が多いか少ないかは全人口に占める高齢者の割合が調べられますが、過疎地域で若者が都市部に出て行って、戻ってこないような地域では、高齢者の割合が高くなるのは当然のことです。そのくらいでは研究対象にはならないわけで、子供のほうが先に亡くなる例が増えて、さらに高齢化率が高まるということが珍しい例であることから周辺地域からだけでなく、全国から研究者が集まってきました。
このことを話題に取り上げたのは、メディア関係者から「棡原村」という言葉を聞いたからです。長寿者が増えている中、また“逆さ仏”が増えているという情報を入手して、その真相と理由について確認したいとのことでした。“逆さ仏”が増えたといっても、親が高齢化しているので、子供の年齢も高くなり、以前なら寿命を迎えてもおかしくない年齢で、親が長生きしているということが起こっているからです。子供が先に亡くなるのはメタボリックシンドロームや生活習慣病が進んで心臓疾患や脳血管疾患が増えているからです。
棡原の“逆さ仏”の話は、今から70年ほど前の終戦後のことで、親の世代は戦争を経て生き延びてきた丈夫で元気な人たちで、子供の世代は戦前生まれであって戦後に成人となり、食生活が大きく変わったことがあり、それが短命の原因とされています。それに対して棡原の高齢者は昔ながらの食生活を続けてきた人なので、食べ物の影響が大きいと説明されました。
棡原は交通が不便な地域で、今では農協の販売店はあるものの、以前は地元の食材や料理を食べるか移動販売のような形で他の地域の食品を食べるしかない状態だったので、確かにほとんどの高齢者が昔ながらの食生活をするしかない状態でした。
これに対して子供のほうは、食事の内容が全員同じだったのかというと、そうではありませんでした。それも“逆さ仏”となった人と、そうでない人では食事の内容も仕事の内容も違っていました。これは長寿村研究でも見逃されがちのことですが、“逆さ仏”となった子供たちの多くは棡原から県境を越えて通っていました。その仕事先は東京の八王子です。工場などでサラリーマンとして働き、生活が大きく変わり、収入が得られるようになったことから頻繁に酒も飲むようになりました。棡原では昔は酒を飲めるのは冠婚葬祭くらいだと聞いたことがあります。
となると食事が変わり、酒も飲み、ストレスも加わって、それが“逆さ仏”に大きく影響したわけで、必ずしも高齢者が食べ続けてきた食事だけが親の世代と子供の世代の寿命の差を生んだのではなかったわけです。