学習障害がある子どもは、いくつかの課題を抱えていて、望ましいとされる行動が取りにくいことがあります。そのような子どもに、発達障害児の改善に使われている応用行動分析が活用されることがあります。応用行動分析(Applied Behavior Analysis)はABAとも呼ばれますが、人間の行動を個人と環境の相互作用の枠組みの中で分析して、さまざまな問題の解決に応用していく理論と実践の体系を指しています。
発達障害児の改善の場合には、行動の前後を分析することで行動の目的を明らかにして、前後の環境を操作して問題行動を解消する分析方法のことをいいます。問題行動の前に、どのような状況(Antecedent)があり、そのような行動(Behavior)が起こり、どういう結果(Consequence)になったのかという情報を集めることが必要で、この情報収集はABCと表現されています。
この方法によって、子どもにかける言葉を変えることで行動が大きく変わることから「魔法の言葉」と言われることもありますが、学習障害への応用の前に、発達障害児の例をあげてABCによるABAを紹介します。よく例としてあげられるのは、おもちゃ屋の前を通ったときの子どもの行動と親の対応です。
おもちゃ屋の前を通ったときに、買ってほしいものがあると子どもが泣いたときに、買ってあげたら泣き止んだということがあります。これで買ってあげた親なり祖父母は解決できたと思ってしまいますが、子どもは泣けば買ってもらえるということがわかり、次におもちゃ屋の前を通ったときに泣くようになります。泣けば買ってもらえるという成功体験があるので、今度は買ってあげないという態度を示しても、買うまで泣き続けるということになります。
これを解決するために、おもちゃ屋の前を通らないようにしても、泣けば買ってもらえるという成功体験のために、他の店の前でも泣いて動かないということにもなります。絶対に買わなければ諦めるということを期待しますが、それも通じない例が多くなっています。そこで保護者が取る行動は、泣き止んだら他のよいことがある(例えば好きなものを食べさせてもらえる)、泣かなければ、ほしがることがなければ家に帰ってから良いことがあるという他のことで誘導することで、他の成功体験を身につけさせるようにする方法があります。
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イエスマンだけでは会社は発展しない、むしろ上司に反発して、これまでと違ったアイデアを出してくる人材こそが重要だ、と言われたことがあります。“言われたことがある”ということは、今ではそうでもないということを示唆しているわけですが、イエスマンどころか、イエスもノーもない、何を考えているのかわからない存在が増えてきています。
ここまで断定的に書くのは、ゆとり世代と呼ばれる1987〜2004年の生まれの最年長は34歳で、それ以降の若い、それこそ「憎まれっ子」となってほしいと期待される年代は、子どものときに競争社会の厳しさを体験してこなかった世代だけに、我武者羅(がむしゃら)に競っていこうという気概が弱い(感じられない?)ところがあるからです。
また、バブルが崩壊した1991年に生まれた世代は今は30歳で、頑張ってもよいことがなかった、あまり頑張らずに生きていこうという思考の若者が今後は次々と働き手の中核に入ってくることになります。
コロナ後を考えるための今回のテーマの「憎まれっ子世にはびこる」は、「憎まれっ子世に憚る」という諺(ことわざ)のもじりで、憚る(はばかる)は“遠慮する”という意味と“幅をきかせる”という意味があって、違ったイメージを与えます。諺としては“他人から憎まれるような者ほど逆に世間では幅をきかせる”という意味であるので、遠慮するという意味合いはありません。しかし、組織の中では幅をきかせるにしても遠慮する気持ちも少しは残っていることが期待されています。
「憎まれっ子世にはびこる」のほうも、幅をきかせて、むしろ周囲を遠慮させている存在ですが、遠慮する気持ちはなくて、勝手気儘(きまま)に行動をする存在を指しています。これまでだったら使いにくい存在、組織に向かない存在と思われがちでしたが、それでも特殊な能力の持ち主であれば歓迎されています。新型コロナウイルス感染によって、その歓迎ムードが進んだのか、それとも減退しているのかというのが、今回の考察ポイントで、それについては次回に続きます。
2本のポールを使ったウォーキングは、安定性がよくて、転倒予防もできる、運動効率も高いということで、歩く時間が短い人でも、長めに歩くのと同様、もしくが通常の歩き方よりも高い健康効果を得ることができます。2本のポールを使って歩くというと、一般的には北欧発祥のノルディックウォーキングを思い浮かべるかと思います。ノルディックウォーキングのポールは勢いよく前進することを目的としていることから、ポールの接地面のゴムパッドは45度の角度になっています。そのためポールは後方に突いて、スキーのストックと同様にグイグイと前進していくのに適しています。
そんな目的のポールを高齢者が使っているのを目にすることがあります。ノルディックウォーキングのポール(スティック)は、あくまで後方に突くものであって、安定のために前方に突いたら尖った先端を地面に触れさせることになるので、こんなに不安定なことはありません。
こういったことがないように、前に突くポールの先端は丸くなっているのが一般的です。これは着地面が狭いという弱点があります。これに対して私たちが使っているのは、ゴムパットのゴムの着地面が平らになっているものです。垂直に着地すればよいものの、斜めに突いたら、円の縁が地面に触れて、やはり接地面が狭くなります。
ところが接地面が平らでも、広い面が接地するものがあります。これを可能にしているのはゴムパッドに柔軟性があって、常に広い面が地面に触れるようになっているからです。
この特殊な形状は。ノルディックスタイルのウォーキングに合わせたものですが、しっかりと接地していることで、安定性をもってストレッチや運動ができます。ポールによって安定性が得られているので、深い姿勢のストレッチもできるし、普段はできないような体操が安定感をもってできるという大きなメリットがあるのです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)
国の健康づくり運動である「健康日本21」では、健康寿命の延伸のために、さまざまな活動について目標を定めて取り組んでいますが、メタボリックシンドローム(metabolic syndrome:内臓脂肪症候群)とロコモティブシンドローム(locomotive syndrome:運動器症候群)の身体機能の改善だけでなく、新たにデメンシアシンドローム(dementia syndrome:認知機能症候群)の改善も幸せな健康寿命の延伸に重要であると認識されています。
健康寿命は「日常的・継続的な医療・介護に依存しないで自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間」のことを指し、この考え方は2000年にWHO(世界保健機関)から示されました。これを受けて、我が国では「日常生活に制限のない期間」として、行きたいところに自由に出かけられる、好きなことができる期間を健康寿命としています。
健康寿命の統計については2016年(平成28年)のデータを見ると、その当時の男性の平均寿命が80.98歳に対して健康寿命は72.14歳と、その差は8.84年となっています。女性の平均寿命は87.14歳に対して健康寿命は74.79歳で、その差は12.35年となっています。女性は長生きになっている分、不健康な期間が長いといえます。
日本人の生涯医療費は約2700万円と膨大な額に達しており、その半分は70歳以降に使われています。男性の平均寿命が80歳とすると、わずか10年の間に1350万円が使われている計算になります。その要因の一つとして、健康寿命と平均寿命の差に当たる不健康な状態で長生きしている期間の長さがあげられます。
この期間は自由に動けない状態であるだけでなく、これまでの生活習慣の結果として、さまざまな身体的な異常や病気が起こり、医療や介護の世話にならなければ生きていけない状況になっているからです。この期間に達するまでに、食事や運動などの生活習慣を見直すことによって、機能低下を抑えることによって10年前の健康状態に戻すことができたなら、健康寿命を大きく延伸させて、医療費も半分に抑えることができる可能性があります。
健康づくりの三大要素の運動、栄養、休養のうち、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)、デメンシアシンドローム(認知機能症候群)のすべてに直接的に関わるのは継続的な運動習慣です。
文部科学省の「食に関する指導の手引」では教科ごとの食に関する指導を各論として掲載しています。ここでは生活の小学校の食に関連する内容を前回に続いて紹介します。
ウ 実践事例
①単元名 やさいはかせになろう
②単元の目標
主体的に野菜を育てる活動を通して、変化や成長の養子に関心をもって働きかけることができ、それらは生命をもっていることや成長していることに気づくとともに、野菜への親しみをもち、世話をする楽しさや喜びを味わわせる。
③食育の視点
*食べ物には栄養があり、好き嫌いなく食べることの大切さがわかる。〈心身の健康〉
*食べ物を大切にし、残さずに感謝して食べようとする。〈感謝の心〉
④指導計画(全12時間)
*やさいパワーを見つけよう(2時間)
*そだてるやさいをきめてうえよう(2時間)
*やさいのせわをしよう(6時間)
*やさい作りをふりかえろう(2時間)
⑤展開例
*本時の目標
野菜に触れたり調理の様子を見学したりすることを通して、手触りや形、においなどに違いがあることから、野菜への関心を高め、意欲的に栽培活動に取り組もうとする。
不利なことであっても、コロナ禍を脱出するには飛び込むしかない、無理をするしかないというのは、何度も見られたことでした。コロナ禍で、思った以上のマイナスになってしまった人が、それをコツコツと取り戻していこうというのなら、状況が変わっても通じることかもしれません。しかし、思った以上のマイナスを被ってしまった人の中には、一気に取り戻そう、大逆転の稼ぎを出そうと無理をする、無理どころか絶対にやってはいけないことに踏み出してしまう人が、かなり多く出てしまいました。
小さな出資で大きなリターンを得るのは成功例の典型で、それを目指して、できるだけ短期間で結果を出したいと願うのは、今の時代では当然のことなのでしょうが、短期しか見ていない人が多すぎるように感じます。小さな出資で大きなリターンを得るには、一気に稼ぐのではなくて、長く継続できることを提案すべきです。短期間の収益は、周囲を犠牲にすれば可能です。自分だけが稼げればよい、自分の考えに従う人だけが儲かればよいということなら、コロナ禍でも収益が得られます。
しかし、そのようなことは、どんなに継続を願っていたとしても、長続きするものではありません。長く続いて、長く収益を得るためには、その仕組みが構築されていることが重要です。それがなければ、いくらよく見えても“不利”なところからスタートすることにもなりかねません。
私たちが口にするのは「世のため他人のため」です。“他人”と書いて「ひと」と読むので、「よのためひとのため」となるわけですが、他人のためといっても、継続させるためには、その継続させる自分のためにもならなければなりません。他人のことになっても、自分のためにもならなければ、続ける気も起こりにくく、結局は長続きしないことになります。
コロナ禍脱出のために無理をした人は、不利なことをやって、それが有利にならないまま進んでいることも多く目にして、それに巻き込まれて苦しい思いもしてきました。そんなときにこそ、「人の不利見て我が不利直せ」という言葉を思い起こして、自分の反省にするだけでなく、この人は一緒に活動してもよいのかと常に問い続けるようにしています。そんな、本来ならやりたくないようなことまでしなければならないほど、新型コロナウイルス感染症は大きなダメージを与えているのです。
ビタミンDは脂溶性ビタミンですが、体内の脂肪に溶けて保持される性質があるため、過剰症が起こる可能性があります。1日に摂取すべき量については「日本人の食事摂取基準」(2020年版)に掲載されています。
ビタミンDの女性の目安量は年齢によって異なります。
〔女性:ビタミンD目安量〕
1〜2歳:3.5μg、3〜5歳:4.0μg、6〜7歳:5.0μg、8〜9歳:6.0μg、10〜11歳:8.0μg、12〜14歳:9.5μg、15〜17歳:8.5μg、18〜29歳:8.5μg、30〜49歳:8.5μg、50〜64歳:8.5μg、65〜74歳:8.5μg、75歳以上:8.5μg。
これに対して、女性の許容上限量は以下のとおりです。
〔女性:ビタミンD許容上限量〕
1〜2歳:20μg、3〜5歳:30μg、6〜7歳:30μg、8〜9歳:40μg、10〜11歳:60μg、12〜14歳:80μg、15〜17歳:90μg、18〜29歳:100μg、30〜49歳:100μg、50〜64歳:100μg、65〜74歳:100μg、75歳以上:100μg。
ビタミンDの摂取の目安量に対して、許容上限量は相当に多く、年齢によっては10倍以上にもなっています。ビタミンDの許容上限量は男女差がほとんどありません。脂溶性ビタミンは過剰性が心配されるのに、これほどの差があり、また男女差がないのはビタミンDは日本では骨を強化するビタミンとして使われているのに対して、欧米では免疫強化をはじめとして多くの有効性が研究によって認められ、それを期待して摂る人が多いことと関係しています。
運動と健康寿命延伸の研究として「中之条研究」の成果が基本データとして取り上げられています。この研究は群馬県中之条町で実施された65歳以上の全住民である約5000人(重度の認知症や寝たきりの人を除く)を対象に平成12年(2000年)から10年以上にわたって実施された健康研究で、現在も継続されています。その研究の結果、歩数としては1日に8000歩以上歩くこと、そして中強度の歩行を20分間以上取り入れることが提言されています。中強度の歩行は、なんとか会話ができる程度の早歩きを指しています。
ただ歩くのではなく、中強度の歩行によって血流を高めることが健康効果を高め、負担をかけすぎない運動量とされています。そのような運動量の確保には早歩きのほかに坂道歩行や負荷歩行(荷物を背負った歩行)のほか、無酸素領域に達するアクティブウォーキングが適しています。インターバルウォーキングで用いられているノルディックスタイルのウォーキング(ノルディックウォーキング、ポールウォーキング)は上半身も使って勢いよく前進することができる上に、足腰への負担が減り、さらに本人が自覚するよりも身体的な負荷が強くかかることから、無理をせずに中強度の歩行を継続することができる歩行法として採用されています。
中之条研究では1日の平均歩行数と、そのうちの中強度の活動時間によって、予防できる病気を示しています。中之条研究では、歩行数と中強度活動時間が増すごとに有病率が低くなることが判明していますが、1万2000歩(うち中強度の活動が40分)以上の運動は健康を害する可能性があることを示しています。
ウォーキングは有酸素運動によって全身の血流が促進され、脳の血流が高まることが知られています。アルツハイマー病発症に対する危険因子で最も影響度が高いのは「身体的不活動」、いわゆる運動不足で、うつや肥満、喫煙を大きく上回っています。
中之条研究では、1日に7000歩以上、中強度活動時間15分以上のグループでは認知症がいなかったと報告されています。海外の研究では、認知症の予防には脳トレーニングよりもウォーキングを中心とした運動でより効果があるとの研究成果があります。
起きている時間帯は自律神経の交感神経が盛んに働き、夕方から寝ている時間は副交感神経が盛んに働くというのが通常のリズムです。ところが、発達障害では自律神経の切り替えがスムーズにいかずに、起きている時間にも副交感神経の働きが盛んで、交感神経が働きにくい状態になることが少なくありません。そのような状態で勉強をする、体育で身体を動かすというのは集中もできず、身体の動きもよくないために、まるで夜中に勉強をして、運動をしているのと同じようなことになってしまいます。それでは好成績を望んでも、期待した結果が出にくいことになります。
オリンピックやパラリンピックの競技の決勝の時間が夕方以降か、夜中にもなっていたのはアメリカのゴールデンタイムに合わせたからのことですが、そんな交感神経が働きにくい時間に頑張って好成績をあげた選手は、心身ともに大きな負荷がかかっていました。これと比べるのが正しいのか議論があるところですが、副交感神経の働きが盛んになっている状態で勉強に励ませるのは、いかに酷なことなのかを気づいてもらう一つの例として紹介させてもらっています。
夕方から夜中に交感神経が働いてしまっている子どもの場合には、本来なら寝ている時間帯に活動的になっていることから、起床後は副交感神経の働きによって眠くなってしまうような状態になっています。これでは学校に行く意欲も湧きにくくなり、これが不登校の一つの原因にもなっています。
こういった状態を改善するには、就寝を早くして睡眠時間を確保して、早めに起床することがすすめられていますが、それだけのことでは残念ながら自律神経の働きを調整させることができないのが現実です。こういった苦しい状態で学んでいるのが自律神経が乱れた子どもの実態であることを知ってほしいのです。
「人の振り見て我が振り直せ」をもじった「人の不利見て我が不利直せ」は、ただ“振り”が“振り”に変わっただけで、他人の行動のマイナス点を知って、それと同じことをしないようにするように注意するという意味なら、それほど大きな意味をもっていないように思えるかもしれません。
自分のやることは、本人には真偽のほどが見えにくくて、周囲の人から指摘されて初めて、実際のところに気づき、本来なら何をすべきであったかが見えてくるものです。自分可愛さというのは誰にも多少の差はあっても起こり得るもので、大事なことに気づかないままに突き進んでしまい、気づいたときには手遅れということも少なくありません。
他人を観察していて、これはマイナス面だということは案外と見えてきやすいものです。ところが、自分のこととなると、マイナス面は見えにくく、中でも成功体験を重ねてきた人ほど自分のマイナスは見えにくい、マイナス面が見えたとしても、それを認めたがらないということになります。そのために、不利ではないかということに薄々気づいていても、そこでストップができずに、そのまま突っ走ってしまうということにもなりかねません。
失敗例ですが、これは私どもが失敗したということではなくて、他人の失敗に巻き込まれて、いやいやながら引き込まれてしまったという反省例です。それは目先の利益を得ようとして、無理をした人のことで、東京を基盤としていたときにテレビ番組のタイアップで、「売り逃げ」と言われても仕方がないような食品のPRでした。
私たちが参加した納豆のPRでは全国納豆協同組合連合会の依頼で、テレビを初めとしたメディア対策で流通量を増やし、それに続いて日本豆腐協会のPRでも同じ手法で成功しました、なんといっても同じ大豆が原料なので、栄養面の効能効果をアピールするのは簡単でした。これは同じ大豆ということがキーポイントだったのに、一緒に動いてきた営業マンが加工食品であれば同じ成果が得られるという売り込みをテレビ局にも流通にもしました。案の定、同じというわけではいかずに、有利になると思っていた営業が不利になってしまい、その仕事の支援をしていた私たちも痛い思いをすることになりました。





