テレビ番組の企画に関わっていたときにはタイアップは当たり前のことで、お金をかけずに番組で全国に向けて伝える、情報を発信したい会社や団体からはPRの活動費がもらえるということがあって、番組の内容に関わらず、商品やサービスの内容に関わらず、タイアップは有効なもので、そのことを自虐的に「腐ってもタイアップ」と口にしていました。
タイアップの初めは音楽雑誌でした。大学生時代に弟子についた先生の息子さんが有名な音楽雑誌の編集長で、アルバイト感覚でレコード会社を回り、資料をもとに記事を書いたり、レコードの視聴をして評論の原案を書くということをしていました。
先生のところに出入りしていた大手広告代理店の役員の紹介で、テレビ局の担当を紹介してもらい、その関係で充てがわれたのが沖縄の紹介番組でした。沖縄が本土復帰した1972年5月15日は高校生で、大学で上京したときには第一次の沖縄ブームでした。テレビ番組でも沖縄企画が盛んに取り上げられて、そのお手伝いもさせてもらいました。
沖縄を取り上げると大きなタイアップがあり、観光関係の資金なのかと思っていたら、その資金が軍用地地主の団体から出ていたと聞いたのは随分と後になってからのことです。自分も含めたメンバーの活動資金が、どこから出ているのか知らないままでのタイアップでした。
これは飲み話で聞いたことということですが、地主にとっては基地の返還運動は困ることで、そのムードが出てきたときには地政学的な話題をテレビ番組で取り上げ、中国、北朝鮮、ロシアに対する守りの重要性を訴えるために、番組の枠を押さえておくというのが全体的なロジックということです。
その隠れたタイアップは今でも続けられていて、何も話題がないときには沖縄ネタというのは伝統になっています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)






