セカンドステージ63 ウォーキングの次のステージ

一時期は全国のウオーキング大会には1年間に220万人が参加していて、健康づくりへの貢献度も、マーケティングの機会としても高い評価を受けていた時代がありました。

それはコロナ禍が始まる前までのことで、ウオーキング大会が始まったのは1964年、前の東京オリンピックが開催された年のことです。

初めこそ小さな規模の大会(歩け歩け会規模?)で、その始まりは東京都内だけでしたが、オリンピックで芽生えた健康意識が後押しをして、徐々に各地で実施されるようになりました。

徐々に広がっていた活動が、一気に全国へと拡大したきっかけは1999年のことで、2年がかりで全国一周をする「平成伊能忠敬ニッポンを歩こう全国ウォーク」が企画されました。同時に全国47都道府県を巡るオールジャパンウオーキングカップが結成されました。

全国を巡るには各地にウオーキング協会が存在していて、各地方協会が開催を担う大会が必要となり、次々に地方協会が設立されて行きました。
しかし、各地方協会が主導して大会を開催するのは大変だということで、各地域の自治体が主催して、それに地元の地方協会が協力して大会を実施するという体制が出来上がりました。

これによって日本ウオーキング協会が全国各地のウオーキング大会を主管して、傘下の都道府県協会が大会の実施に協力する、実際に歩く指導をするのは地域会(市の単位などの複数の会)というピラミッド型の仕組みができて、大会に参加する人が増えていくことになりました。

しかし、都道府県協会のうち東京都や大阪府などの以前から大規模の大会を実施してきたところを除くと、協会と呼べないような個人の集まりというところも少なくなくて、コロナ禍によって大会が開催できない時期が続く中で、地域会の解散が続き、地方協会も弱体化していきました。

コロナ禍を抜けて、復活が期待されたものの、以前のような趨勢は望むことができなくなり、次のステージを目指そうにもピラミッド組織の上にいる方々の意識が急に変わることはなくて、まだ以前の活動を続けるだけに終わっています。

(ウォーキングは一般名称、ウオーキングは日本ウオーキング協会の固有名称)

このようなことを書くのは、日本ウオーキング協会が2005年に厚生労働省と環境省の共管社団法人となるときに立ち会ったことが一つにはあります。

また、私の運動の師匠(公益財団法人日本健康スポーツ連盟の初代理事長)が日本ウオーキング協会の役員だったことなどがあり、日本ウオーキング協会の資格認定制度にも関わって、ずっと近くで変化を見続けてきて、よく事情を知っているからです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕