コロナ禍の収束は今度こそは終息に向かうと信じて(信じたい気持ちで)我慢に我慢を重ねてきたのに、さらに我慢を強いられることになり、終息どころか収束もしていないことが痛いほどわかった、という厳しい経験をしてきた人も少なくありません。
そんな状況にある飲食店の経営者と話をしたときに、「国は“自業自得”かもしれないが、そのために自分たちは“事業地獄”だ」と言っていたことが頭から離れません。地獄のような、という表現はよく使われるとしても地獄そのものというのは、これまでは聞かれることは少なかったのですが、“退くも地獄、進むも地獄”と常に思いながら仕事のしている人の心身の負担は如何許(いかばか)りかと推測します。
“事業地獄”ではなく、ここでは「自業地獄」という言葉を使って話を進めます。これは「自業自得」をもじったものですが、自分の行いの報いが自分に返ってくることを指しています。その自業が地獄になるように感じているのは、コロナ禍による国民的な健康面の低下です。コロナ前の状態でも、超高齢社会、極端な少子化で、社会的な支えが少ない中で増え続ける高齢者の支援をしなければならないのは、すでに厳しい状況でした。
厳しい社会といっても経済的な成長があれば支えるための資金を稼ぐことはできましたが、社会活動は低迷して、海外からの旅行客も期待できなくなりました。支える人材として海外の働き手を期待していたものの、それも入国制限で、いつ必要な人材が確保できるのかが見えてきません。コロナが収まればと期待しても、海外の働き手は、すでに他の国々に流れていて、過去の期待値がかなえられることはないとの予測があります。
自分たちがやってきたこと、リーダーがやっていることを許してきたという“自業”が地獄にならないように、少ない人数で増える一方の高齢者を支えていくための老若男女の国民的な健康度を高める活動をすぐにも始めるようにしなければならないと強く認識しています。






