日々修行〔番外4〕あれから40年

「十年一昔」は、それこそ一昔前からではなくて、ずっと言われ続けてきたことです。

十年一昔(ひとむかし)は10年も経てば一応は昔のことになるということで、10年を一区切りとして世の中の変化を見ると、その間に著しい変化があると言われています。

10年前のことが一昔であるなら、40年前のことなら“四昔”となってしまいそうですが、今年(2025年)70歳になった私の四昔前は30歳で、大きな変化の始まりだったようです。

1985年は、当時の取材先の労働省(2001年から厚生労働省)では男女雇用期間均等法は始まり、通商産業省(2001年から経済産業省)では国際科学博覧会(つくば万博)が開催された年でした。

日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社となり、その社名は2025年7月にNTT株式会社となるまで40年間も続きました。民間の日本電信電話になった年は携帯電話の始まりの年とも言われているのですが、1985年に発売されたショルダーホンは3kgもあって、これを“携帯”と呼んでよいのか疑問が残ります。

ファミリーコンピュータ用の「スーパーマリオブラザーズ」が販売されました。ゲーム雑誌の編集のサポートを始めた年でもあるのですが、攻略法を得るために寝る間もない編集者を見過ぎたせいか、一度も自分でやったことはありません。そもそも操作法を今もって理解できていません。

もう一つ、40年前のことで忘れられないのは、日航ジャンボ機墜落事故です。その40年を経ての追悼行事も行われました。事故直後の現地に初めて入ったメディアはフジテレビで、ヘリコプターからロープを使って降りて、初めてレポートをしたのは、私の高校時代の同級生で、朝の情報番組のレポーターを務めていました。

高校の剣道部では、私が主将、彼が副主将で、その関係から親しく話すことがあり、一般のメディアに映らない悲惨な状況を何度となく聞いていました。

捜索現場での食事については、後に私も取材をして報告をしてきましたが、その話は次回とします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕