今から40年前の1985年はアイドル大豊作の年ということで、その年から5年間は原宿のタレントショップの全盛期でもありました。
まだ30歳という年齢でもあって、業界の機関誌編集、書籍の原稿書き、スポーツ誌の編集という比較的堅い仕事をしてきたのですが、27歳から原宿の“ど真ん中”に住んでいたこともあって、柔らかい仕事の方から私に近づいてきたところがあります。
具体的には大手出版社の情報誌や女性誌などの情報提供ですが、竹下通りの不動産屋を叔父(大学教授)が経営していて、教え子が実務をしていたこともあって、原宿界隈の新規出店の情報は毎週のように知ることができました。
タレントショップは最盛期の1989年には竹下通りだけでも42店あって、原宿地域全体で52店ということで、いかに集中していたかがわかります。わずか350mの竹下通りに130店の店舗があり、そのうち42店というのは今とは街の景色が大きく違っていました。
1985年に歌手デビューした女性アイドルは、浅香唯、石野陽子、井森美幸、大西結花、河合その子、斉藤由貴、佐野量子、本田美奈子、松本典子、南野陽子、森口博子、吉本美代子などがいて、さらにおニャン子クラブも同時期のデビューでした。
今の名前が残っているのは新田恵利、国生さおり、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子などですが、会員番号52番まで存在していて、おニャン子クラブは数で勝負する今の女性グループの走りみたいなものでした。
諸説あるものの初めてのタレントショップは「おニャン子クラブの店」とされています。1985年といえば少年隊がデビューした年で、その前後では1982年(〜1988年)にシブがき隊、1987年に光GENJIと、男性グループでは一大勢力がテレビを中心にメディア制覇していたので、女性アイドルでないと売れないどころかデビューもできない時代を背景にしての出来事だったようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕