日々修行240 商売道具の目と手の機能

「自分にとっての商売道具は何か」という話の場に参加したときのこと、「目と手だ」と話すと、「私は目」「私は手」という声があがりました。その場は特殊な仕事をしているタレントさんも参加していて、ともにパーツモデルの方だったということを今も鮮明に覚えています。

パーツモデルというのは、全身や顔のモデルとは違って、まさに特殊なパーツの美しさで仕事をしている人のことで、よく聞くのは“手タレ”“足タレ”かと思います。

“目タレ”は目薬やコンタクトレンズなどのコマーシャルで活躍(?)していますが、これが自分の宣材写真(宣伝用のプロフィール写真)といって見せられても判別がつきません。言われて注目してみれば、美しい瞳ではあったのですが。

私の場合は目と手が美しいわけではなくて、目と手が弱ったり、使えないことがあると“飯が食えない”状態になる、まさに商売道具です。

ちょっと前に、その話を知人にしたときに、「確かに、ご飯が食べにくい」と言われて、そうではなくて、と切り返しました。よく見えない、うまく手が使えないと食事に不便さを感じます。言いたかったのは、そういうことではなくて、もちろん稼ぎがなくなるという意味です。

文章を書く仕事は、目と手が健全な状態でないと全力を出すことができなくなります。書いている(実際にはキーボードに向かって打ち込んでいる)ときだけでなく、資料を見たり、書いた内容を伝えるときにも目と手は重要です。

私の場合は、目の状態では閃輝暗点(せんきあんてん)が起こるので、視界の一部が輝いて見えたり、一部がモザイク状になることがあって、この状態になったときには読むことも書くことも充分にできなくなります。

仕事のしすぎで目にダメージが蓄積したということではなくて、脳の後頭葉の血流低下が原因なので、治す方法がありません。

東京にいたときには医療ジャーナリストとして、さまざまな名医に会い、最新医療も伝えてきましたが、これは自分の状態をよくしたいという気持ちもあってのことでした。

手のほうは、これは書き続けてきた、打ち続けてきた結果で、手首と指が炎症を起こしやすくなっていて、腫れて自由に動かせなくなって、仕事ができないから仕事から離れるために旅に出るということが何度もありました。

最近でも大学で講師もする整形外科医から、根本的な治療法として「打ち込む量を減らすこと」を言われました。

打ち込むスピードを遅くすると、それだけ傷みが少なくなる、ということは30年以上前から、さまざまな専門医から言われてきたことです。それに従ってこなかったのは、脳の処理のスピードに合った打ち方をしないと、考えたことが文章にできなかったからです。

脳の処理スピードに合わせるのか、それとも目と手に合わせて内容を変えていくのか、そこが悩みであった時期もあるのですが、今はAI(人工頭脳)のサポートも受け入れるようになって、徐々に解消されています。

70歳に達して、脳の処理能力が徐々に(どんどん?)低下していく中で、目と手の状態と合致する時期が、もうじき訪れるのではないかと、実は楽しみにしているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕