「規格外の人は天才だ」とまでは言うつもりはないのですが、規格外の人の中に天才と呼ばれる人が数多く存在しているのは事実です。
その天才を天才たらしめているのは、それぞれの才能を認めて、個性を伸ばすような環境を整えていること、同じ環境にあっても個性を伸ばすように接していることという考えがあります。
そのせっかくの個性を、効率化のためにつぶすようなことになっていないか、ということを伝えたくて、申し訳ない気持ちもありながら前々回(日々修行255)、前回(日々修行256)と続けて「規格外野菜」のお題で書いてきました。
箱に収まって効率よく運ぶことができる野菜、効率よく運ぶために箱に合わせて育てる人、同じ形・長さ・重さ・色のものを均一価格で販売する人、それを好んで購入する人と、規格野菜に関わる人に、規格外野菜の実態を知ってほしいとの思いで書いてきました。
規格外野菜は、あくまで野菜の話であって、“規格外の子ども”のすべてに当てはまるわけではないことは充分に承知しています。
中でも発達障害の特性がある子どもは、すべての子どもの10人に1人に発現するとされていて、これは文部科学省をはじめとした調査でも明らかにされています(文部科学省の調査では、通常学級の子どものうち教師が発達障害であろうと推定している割合で約8.8%)。
子どもの個性は“十人十色”と言われます。発達障害では“百人百様”とされることが多いのですが、実際には“千差万別”で、環境や周囲の接し方などによって変化するので、同じ子どもなのに何人もと対応しているような状態になることも不思議なことではありません。
それこそ規格外の子どもに対して、支援する専門家(児童発達支援や放課後等デイサービスなど)であっても発達障害児支援の制度の限界、支援する人の経験、成功体験(子どもの、ではなくて親や支援者の)に当てはめようとするところがみられます。
中には、扱いにくい子どもを避けようとするところが専門家の中にもあって、そういった子どもを“困った子”と認識している人(口には出さないものの意識の中にある)もいます。しかし、そのような子どもの多くは、困った子ではなくて“困っている子”なのです。
自分でもどうしていいかわからない状態の子どもに対して、一番いけないことは決めつけであり、また励ましでもあります。頑張ってもらおう、才能を引き出してあげようとの思いで励ます人は多いのですが、その心の内が発達障害のある子どもにはわかります。
根拠をもって励ましているのか、それとも心がこもっていない口先だけの励ましなのかということで、発達障害で“困っている子”にとって根拠のない励ましは不安を強めたり、否定されたと感じてしまうことが非常に多いということです。
ただし一つだけ注意してほしいことは、発達障害にはギフテッドと呼ばれる非常に高い能力がある子ども(超天才)が存在していることは間違いないことではあっても、全員がギフテッドの才能があるとは限らないことです。その確率は100人に1人だと言われています。
そのような状況であるのに、期待を寄せすぎることは根拠のない励ましの超ハード版のようなもので、子どもの状態に大きな影響を与えることにもなることも知っておいてほしいのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕