日々修行260 命名への思い

「名前は記号のようなもの」という考え方をする人がいて、家族の中で区別ができればよいということを言う人もいます。

それは呼ぶ側の理屈であって、呼ばれる側にすれば一生涯変わることがなくて、「もっと考えてつけてほしかった」ということを言う人に何人も出会いました。

大学時代の先輩の名前は「長男」で、「ちょうなん」ではなく「かずお」と読むのだと初対面のときに聞きました。名前の通り長男であって、弟さんが2人いることが聞きました。

ひょっとすると次男、三男と書くのではないかと聞いたら、その通りで読み方は「つぐお」、「みつお」でした。

なんで、そんな付け方をしたのかというと、お父さんが銀平(ぎんぺい)、叔父さん(父の兄)が金平(きんぺい)で、いかにも兄弟とわかる名前をつけるのが好きな一族という、わかったようで、わかりにくい説明をされました。

名前にまつわる話はそれだけかと思っていたら、付き合いが進んできたときに、「実は自分の名前の読み方は“かずお”ではなくて“かづお”であって、戸籍には“かつお”とふりがながつけられている」と聞きました。

どうやら出生の届出に行った祖母が濁点をつけ忘れて“かつお”になったとのことで、それではサザエさんの弟のカツオと一緒ではないかと酒呑みの話題にしたことを覚えています。

当時の私は法学部で学んでいたものの戸籍法の詳しい知識がなかったのですが、その先輩は漫画家になった人なので、どこまでは真実で、どこからが創作なのかわからないまま過ごしてきました。

しかし、そのときの会話が、名前にこだわりを持つきっかけの一つにはなっていました。

大学の後輩に「幸子」と書いて「こうこ」と読む方がいて、ひょっとしたらと聞いてみたら妹さんがいて「福子」とのことでした。姉妹で幸福ということですが、妹が生まれなかったら、なぜ「こうこ」なのかわからないままだったようです。

戸籍の名前の読み方は以前には統一されていなくて、読み仮名を書き入れるところと、書かないところが混在していました。出生届に読み仮名を書き入れても、それは戸籍には反映されていなかったということを後になって知りました。

それが時代を経て、2025年5月26日から戸籍に読み仮名(フリガナ)をつける制度が始まります。それを前にして、こんなことを思い出しながら書いてみました。

ここで自分の名前の読み方について書いておくと、私の出生地では読み仮名は付けられていなのですが、「正人」と書いて「まさと」と読みます。これまで知り合った人の中では「まさと」の他に「まさひと」と読む人も何人かいました。

仕事で知り合った中に、たった一人だけ「まさんど」と読む方もいました。その万井正人先生に初めて会ったときには京都大学の名誉教授でした。専門は運動生理学、抗老化医学で、スカイクロス(輪投げとゴルフを組み合わせたようなニュースポーツ)の考案者としても知られています。

正人は、まさと、まさひと、まさんど、これ以外の読み方はないと思い込んでいた私に、驚きの真実(?)を告げたのは命名者の父親です。
晩年の入院中のことで、何年か会うことができなかったのですが、親の遺言のような言葉として聞いたのは「正人の本当の呼び名は“せいじん”」ということでした。

驚きの真実と書いた割には、実は大きなショックを受けることはなくて、剣道の達人だった父親が道場に掲げていた書は「正剣正人」(せいけんせいじん)で、正しい剣は正しい人を作るという意味だと聞かされていたからです。

漢字は同じでも読み方が違うという感覚だったのに、自分の名前が「せいじん」だったとはという驚きというか感動はあったものの、そのときには父親は認知症も始まっていて、記憶の混濁も起こっていました。

抑制が取れて心の中に隠しておいたことが出たのか、それとも妄想なのか、ということを考えるのではなくて、父親が名前に込めた思いを最後に、自分だけが聞かせてもらったという思いを大事にしていこうと決めた瞬間でした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕