神社の参拝というと、拝礼のあとに柏手(かしわで)を打って、また拝礼をするのが基本です。神社庁の基本とされる参拝作法は「二礼、二拍手、一礼」です。これに対して別の参拝作法もあって、出雲大社では「二礼、四拍手、一礼」となっています。
これは全国的な常識とされていて、一般の神社の参拝作法をすると、礼儀知らずと揶揄されることもあります。「二礼、四拍手、一礼」は出雲大社だけと考えられているところもあるのですが、他にも同じ参拝作法のところがあります
それは新潟県の弥彦神社で、私が幼いときに親元を離れて暮らしていた母親の実家の寺院からも近いところであったので、話に聞くだけでなくて、何度か訪れていました。それは大人になってからも続いていました。
そのようなことだったので、神社によって拝礼作法が違っているという認識があったのですが、全国で違っているのは弥彦神社と出雲大社というのが当時の感覚でした。
母親の実家の所在地は「出雲崎町」で、これは出雲に由来していると子どものときに聞かされていました。出雲崎町の地名は、出雲神様の大国主命の来臨や出雲との交流に因むという説や、出雲臣の一族が往来した海辺の地域を指すという説があります。
出雲崎の総鎮守の石井神社では出雲大神(大国主神)を祀っています。
出雲大社というと、私が岡山に移住する前に住んでいた東京・港区の青山は、出雲大社東京分祠の近くで、毎月の1日(月始祭)と15日(月次祭)には歩いてお参りに行っていました。
祭礼に参加する方々は作法も熟知していますが、なんといっても主神の大国主(おおくに主の命)は「縁結びの神」で、縁を結んでほしいと願う善男善女が押しかけています。
縁結びということで、必死に願っている人、中でも必死に願う若い女性が訪れるところで、必死に願っている若い女性(中には、それなりの女性もいました)が自分の前にいると、随分と待たされることがありました。
このような状況を見て、参拝は短く、端的に願って、次の人が願えるようにすると言い、そのように実施している人もいます。
「神社で先に“ありがとうございます”とお礼を言う」と得意げに口にしていた人がいました。神様には願うものではなくて、ましてや必死になって願うものではないということです。
お礼は望みがかなってから言う(伝える)もの、ということではなくて、先にお礼を口にするということで、願いがかなって言う感謝を先に言うことで望みをかなえるように“プレッシャーをかける”ということのようです。
しかし、私が考えているのは、それとは違って頑張っていることを報告する場です。
それも頑張っていることを神様に伝える、頑張っている報告するということではなくて、神様の願いをかなえるために力を注ぐということに心を誓う、ということです。
実際に、どんな神社に参拝していたのかというと、幸いなことに有名な神社が歩いていける範囲に複数ありました。それについては次回(日々修行263)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕