私と運動との関わりというと、付き合い始めた期間によって抱かれるイメージが違っています。
岡山に移住した8年前からはウォーキングくらいしかしていないので、ウォーキングの指導者かと思われているところがあります。お題の「歩くのは仕事のうち」は、実際に歩くことに関係することで食べていた(稼いでいた)ことを指しています。
東京にいたときには公益財団法人日本健康スポーツ連盟の理事として、日本ウオーキング協会に送り込まれて、指導をしていました。
といっても、歩き方の実践指導というよりも、ウオーキングの資格認定の講習テキストを作成して、指導者(健康ウオーキング指導者など)の指導というのが主な仕事ではありました(ウォーキングは一般名称、ウオーキングは日本ウオーキング協会の固有名称)。
実際の歩き方の指導については、歩き方を変化させることによるエネルギー代謝の向上や、ポールを使ったノルディックスタイルのウォーキングで、これは自らが代表を務める特定非営利活動法人日本メディカルダイエット支援機構の研究が基本になっています。
この研究を進めることができたのは、日本健康スポーツ連盟で同時期に理事を務めていた宇佐美彰朗先生(オリンピック3大会連続マラソン代表)のおかげで、宇佐美先生は「走るように歩く、歩くように走る」というジョグウォークを広めていました。
その進化系が研究成果として実践している普通歩行と速歩を交互に繰り返すインターバルウォーキングで、エネルギー代謝を高めて余分な脂肪をエネルギーとして使うと同時に、筋肉を強化する効果を得ることもできます。
ポールを使うノルディックスタイルのウォーキングのほうは、日本健康スポーツ連盟で知り合った霞が関のお役人で、ノルディックウォーキングで日本人で国際資格を初めて取得した人ということもあって、指導の場にも参加させてもらっていました。
歩くことがメインとなる前は、ずっと格闘技をしていました。父親が警察官であったので剣道と柔道を学んでいて、あくまで中学生・高校生時代の話ですが、県大会(新潟県)の常連ではありました。
これも父親の影響で逮捕術を始め、少林寺拳法も近所の和尚の道場で学んでいました。
ずっと格闘技を続けていきたい意向だったのですが、中学2年生のときに空手の試合で首にキックを受けて、頸椎の椎間板(クッション役)がつぶれたことによって首に負担がかかることからは徐々に離れていきました。
椎間板の2か所がつぶれて薄くなり、1か所は頸椎がくっついてしまいました。そのために神経が圧迫されていて、首にショックを受けると全身に痛みが出るようになり、柔道は中学2年生でやめました。
剣道は大学では体育教科として1年間だったのですが、教師に事情を説明して面の防具をつけないで参加させてもらいました。
空手も少林寺拳法も社会人になってからも続けていたものの、これも30歳からは試合には出ない、健康法として続けてきた程度です。そのため、どの武道も段位は2段まででした。
それ以降は歩くことを運動、場合によってはスポーツレベルで続けてきたのですが、とうとう70歳になって(2025年4月8日)、ポールを使うノルディックスタイルのウォーキングも限界に近づいてきました。その話は次回(日々修行281)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕