日々修行300 自分にとっての業苦楽

「あれから40年」というのは毒舌漫談の綾小路きみまろの名台詞ですが、自分にとっての40年前は30歳で、何が苦で何が楽なのかもわからない時期でした。

その年は東京・原宿に暮らして3年目で、子どもが誕生して父親になったということくらいで、そこから10年間は与えられた仕事(書籍のゴーストライター、週刊誌の記事、健康関連の団体機関誌、社会福祉の基礎研究、テレビ番組の企画など)をこなしていただけです。

「あれから30年」と年数を変えてみると、1995年は、さまざまなことがトピックスとして刻まれたときでした。

阪神・淡路大震災があり、地下鉄サリン事件から教祖の逮捕、野茂英雄のMLB挑戦、Windows95の登場とあって、「あれから30年」はメディアの恰好のテーマとなっています。

自分にとっての1995年については、日々修行の連載コラムで何度か書いてきていますが、病院栄養管理の研究所の主任研究員を続けながら、同時にメディア対応のために健康科学情報センターを設立して、臨床栄養だけでなく、健康に関わる業界とのネットワークを組み立て始めたタイミングでした。

Windows95の年といっても、それまで使っていたのはMacintoshで、それ以降も同様で、今もMacBookを使っています。

MacユーザーとしてはWindowsは使いにくいものでしたが、それでも1996年に東証マザーズ上場第1号となったインターネット総合研究所の創設者が親戚(1歳年上)であったことから、Windowsで日本のネット社会は進んでいくことを聞かされていて、両方を扱うという今にしたら苦(苦労)の始まりでした。

子どもの世代にとっては(私にとっての)、初めから家にパソコンがあって、一般向けと業界向けの別の種類があって、楽しい遊び道具が使えるという環境でした。

子どもの世代は、水道の蛇口が2つあって、一方は水、一方はお湯というのは生まれたときからの当たり前の姿です。水をお湯にする瞬間湯沸かし器の話をして、それが家に取り付けられたときの感動を伝えても「何を言っているのかわかりません」という状態と同じです。

苦があったから楽の重要性がわかるということを「自業苦」(じごく)から「業苦楽」(ごくらく)に変えるということは、これまでに何度も書いてきました。自分のことというよりも、評論に近いことも書いてきましたが、日々修行が300回になった機会に、これからは自分の「業苦楽」も書き記していこうと考えています。

具体的なことは、それを見てもらうとして、日々修行の366回(閏年の1年分)を見据えて、自分にとっての「業苦楽」を念頭に置いて書き進めていくことにしました。

これにも共通テーマが必要だろうと考えて、「危機感がないのが最大の危機」という言葉を掲げることにしました。

この言葉は、長く変化を見てきたから実感できることで(といっても30年間でしかないのですが)、それが役立つ(であろう)人に伝えていくことが、その人の「自業苦」を「業苦楽」に変えられる、そう感じてもらえることを目指していきたいとの思いでいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕