日々修行324 中心地に住むということ

日本文芸家クラブという作家団体で理事を務めていたのは今から20年以上前のことですが、その当時に先輩の作家から「銀座に住んでいたのは自分くらいのもの」ということを聞きました。

銀座という住所には一軒家からマンションまで数多くあるので、銀座に住んでいる人もいるし(今でも3500人ほど)、過去に住んでいた人を加えると相当の数になるはずです。

この話を聞いたときには、“作家の中では”とか“作家団体の会員の中では”という意味だろうと思っていました。

銀座といっても、東京や近辺には「銀座」を名乗る商店街がいくつもあって、その銀座ではないことは本人から確認していました。

銀座というのは繁華街の代名詞のようなところがあって、本家本元の銀座といっても1丁目から8丁目の中でも最も賑わっているのは三越がある銀座4丁目の交差点周辺ですが、4丁目の人口は190人ほど、その隣の5丁目の人口は30人ほどです。

後ほど先輩に聞いてみたら、銀座5丁目の三越まで200歩ほどの飲食店の上の階に住んでいたということで、本当に「銀座に住んでいた」ということを納得させられました。

関西では繁華街に「京極」をつけているところが複数あり、その本家本元は「新京極商店街」です。

話は飛んで、私が住んでいる岡山市の場合には表町商店街が一番の繁華街です。岡山市といっても現在の私の住まいの住所は岡山市東区で、それに瀬戸町と続くように、合併して岡山市に入れてもらったところです。岡山市の東の端といった感覚です。

岡山市に合併した最後の地域だということを、当時の市長から聞きました。

表町商店街は長さ1.4kmのアーケード街で、江戸時代の城下町が始まりで、岡山城の築城と同時期で420年もの歴史があります。

表町商店街の知り合いの店舗では創業100年を超えるところが複数あり、中には190年という店舗もあります。商店街の中央には創業100年を超える中国地方一番の百貨店の本店もあり、百貨店横のバスステーションは岡山市内だけでなく、その周辺地域への交通の中心地ともなっています。

商店街の中に住むのは便利で、商店街だけでなく知り合いの会社や事業所も多く、仕事先も多くあるものの、その一方で住むとなると不便なところがあるかもしれません。

中心部に住むことについては、東京・原宿に住んでいた19年間に「原宿には服屋がない」と、よく言っていました。原宿といえばファッションの先端地で、服もシューズも飲食店も何でも揃っているところという感覚が抱かれています。

それは外から来る人の感覚であって、その中に住んでいると店だらけなのに買うべきものがないというのは地域住民の共通した感覚です。そのため、生活必需品は、歩いては青山、バスでは渋谷、電車では新宿に移動して、買っていました。地下鉄で銀座に出ることもあって、その目的は三越など3つのデパートでした。

あとは医療機関に行くこと(当時は患者としてではなく仕事がメイン)でした。

ということを思い起こすと、表町商店街は長い歴史があるだけに歩いていけるところで生活必需品は手に入り、バスを使えば周辺の店舗にも行ける、大きな医療機関も徒歩範囲にあり、文化的な施設や大型書店もあって、住環境さえ問題がなければ、これほど便利なところはありません。

ということで、本気で岡山の中心部に住むことを周囲に伝えたら、表町プロジェクトなる仮称で、私が何ができるのかをチームで話し合い、実現させる活動が始まりました。

これについては、「日々修行」の連続コラム(2025年8月末が最終回の目標)には間に合わないかもしれませんが、他の方法で逐一伝えられたらと思っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕