日々修行326 濁らない“しみん党”

濁(にご)るというのは、あまりよい意味には取られないのは日本に限らず、世界の常識となっていました。

「立つ鳥、跡を濁さず」は、飛び立つ鳥が汚い痕跡を残さないこと、物事を綺麗に終わらせることを指した諺(ことわざ)ですが、鳥の中でも美しいと定評の白鳥も飛び立つ前には脚の水かきを使って必死になって助走をつけるために、水面下は濁っています。

その濁りが見えないだけ、目立たないだけで、実際には濁るだけ濁らせています。

では、濁っていなければよいのかというと、「水清ければ魚棲まず」という諺もあります。あまりに水が清らかすぎると、魚は棲みにくいということで、清廉潔白すぎると、かえって人に親しまれないということを伝えるために使われています。

江戸時代中期の田沼意次が幕府の実権を握っていた20年間(1767〜1786年)は賄賂が横行して、格差の拡大、天明の大飢饉などもあって、民衆の不満が高まった時代です。

田沼時代は、最近の研究では悪政ではなく、むしろ善政であったとの評価が高まってきています。商業を重視した経済政策、株仲間が奨励され、貿易の拡大、新田や鉱山の開発も盛んに行われました。

どこに焦点を当てるのかによって、評価が逆転するというのは、今の時代と共通するところがあるのでは、という思いが浮かんできました。

田沼時代の重商主義の反省から、老中の松平定信(白川藩主)による寛政の改革による質素倹約の時代となりました。その厳しい締め付けが民衆の不満を招き、6年で失脚しています。

それを象徴するのが「白河の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」という狂歌です。

「清濁併せ呑む」という言葉があるように、海が清流も濁流をすべて受け入れるように、どちらも受け入れる、善も悪もそのままの姿で受け入れることが大人物(「おとなもの」ではなくて「だいじんぶつ」)の条件のように言われることがあります。

そのような人物(大人物かどうかは別として)には、さまざまな世界で、あらゆる方々と付き合ってきたことから、「清濁併せ呑む」も理解できるようになりました。そして、「濁る」という言葉には、不透明さ、不鮮明さ、不潔さといった意味合いとは異なる別の側面があることも確認してきました。

しかし、以上のことは、これまでの常識の範疇であって、大変革の時代と言われる2025年を象徴する一つとなるであろう参議院議員選挙の結果を見ても、濁った状態に国民が、どのように考えて、どんな行動を起こすのか、まだ見えてこないところがあります。

参議院の与野党逆転は2007年以来18年ぶりのことです。

その当時も濁った政治を清くする、自民(じみん)の濁点(゛)を取れば世の中が変わるということも言われたものですが、政党が中心の離合集散で市民が置き去りにされたのは、多くの人が記憶していることです。

そのようなことではなくて「誰一人置き去りにしない」濁らない“しみん党”が、いよいよ実現できるのではないか、それは国政だけでなくて、地方においても同じように起こることが期待されるフェーズになったと感じさせられる日々の始まりを意識させられています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕