年齢を重ねて、身体にガタが出るようになってくると、病院に通うだけでも時間が取られてしまう、送り迎えを頼むのも難しくなっていくということで、病院の近くに住むことを選択する人が増えていきます。
東京にいたときには、病院は、どこにしようか迷うくらいに多かったことと、都心では、どこでもタクシーがつかまったので、「病院の近くに住む」ことを、地方とは違った感覚で口にしていました。
病院は仕事場の一つでした。一般に言われる医療関係者(医師、看護師、検査技師、理学療法士、薬剤師、管理栄養士など)ではないものの、その方々は取材対象として付き合っていました。
一つは医療関係の学会や協会の仕事をしていたことから、その会員が所属している病院や医院、クリニックには、よく行っていました。学会誌や協会誌の仕事をしているときには、取材や打ち合わせだけでなく、掲載する記事を書いて、それを見てもらうということもあって、同じ方に3〜4回、続けて会うということも珍しいことではありませんでした。
この仕事は内々の関係ということで、協力をしてくれないということはなかったため、“空振り”はなかったのですが、医療ジャーナリストの立場で病院を訪問することが徐々に増えてくると、誰もが大歓迎で受け入れてくれるということでもなくなりました。
自分の目線で知ったことをジャーナリストとして書くとなると、不利益であったり、不本意なことを書かれることがないわけではないので、“防御の姿勢”で、発言も曖昧表現(断定的なことを言わない)が多くなるのは仕方がないことでした。
医療現場のことではなくて、研究者として取材する対象となると、別の面を見せてくる医療関係者が多くて、中でもテレビ番組や健康雑誌の監修、コメントでお願いしたときには、「こんなにも協力的になるのか」と驚くほど変貌する医師などもいました。
「せっかく何度も来るのだから、少しは売り上げに貢献してくれないか」という言葉は、多くの業界で聞かれることではあります。ところが、医療機関だけは病気でないと売り上げに貢献することはできないので、集患(診療に来る患者を増やす)のためにメディアに登場してもらう形のサービスが多くなります。
こうなると、病院などの医療機関は、さまざまな仕事の対象となって、病院の近くに住まないと時間ばかりが取られるということで、歩いていける距離に有名な病院があるということになっていました。
岡山に移住してからは、病院は“売り上げに貢献する”関係が多くなっています。このことについては、日々修行の連載コラムの中で書いてきたことですが、なかなか難解な疾患なのに難病指定ではないものの、大学病院でないと対応できないために何度も通わないといけないので、病院の近くに住むしかないという状態になってきています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕