昔であれば考えられなかったことが、社会の変化によって実際に起こるというのは、今のように大変革の時代には起こり得ることで、これを経験する人も増えています。
これまでの常識で言えば、祖父母が亡くなり、父母が亡くなり、そして子どもという順番であり、その常識に従って社会の制度やルール、手順なども設けられています。
ところが、現在は順不同になっていて、年齢が低い人が先に亡くなることは珍しいことではなくて、大災害の被害を受けたわけでもないのに、親が子どもの葬式を出すということも起こっています。
今回のお題の「逆さ仏」は、そのような非常識と思えるようなことが起こらないことを前提としていた時代に生まれた言葉で、ひょっとすると今では死語になっている可能性もあります。
最近では葬儀業界で使われる「逆さ仏」のほうが聞き慣れているのかもしれません。それは葬儀の際に、個人の着る衣装(いわゆる死に装束)を左前にしたり、屏風を逆さに飾るというように現生とは逆のやり方で仏事を行うことです。
これは死後の世界が、現世とは逆の関係にあるとの考え方に基づいた作法です。これには地域性があり、なかなか目にすることはなくなってきました。
これとは違う本来の意味として使われている「逆さ仏」が有名になったのは、長寿村として知られた山梨県の棡原村(現在は上野原市棡原)でした。
私が調査に入ったのは、あまりに棡原村が有名になっていたときです。そのときには、国立病院の栄養部門のOBが設立した研究所のメンバーになっていましたが、OBの1人が山梨県の国立病院の栄養のトップだったことから、この長寿地域が有名になった調査活動の話を当時の報告書を見ながら教えてもらったことがあります。
棡原村の「逆さ仏」の調査と研究は、ショッキングな出来事として、当時のメディア(新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど)で取り上げられて、全国に知られることになりました。
親が子どもの葬式を出すことになったのは、終戦後に食事を含めた生活環境が大きく変化したことから若い世代が先に亡くなる例が急激に増えていたことが原因とされました。
これについて当時、調査に入った研究者は食事で肉食・洋食が増えて、高齢者が食べてきていた伝統的な食事を若者が食べなくなったことを結論としていました。
棡原村の最寄り駅の上野原駅から東京都の八王子駅までは30分ほどの距離で、戦後には八王子周辺に働きに行く若者が急増しました。
当時の調査に協力した役場のOBに話を聞く機会があり、調査報告書を見ながらインタビューしたところ、「実は報告書に書かれなかったことがある」と言われました。それは飲酒量の増加です。
戦前までは飲酒の機会といえば冠婚葬祭くらいだったのが、収入が上がって、働きに出ていた若者の飲酒量が急に増えました。これが健康度にも寿命にも大きく影響したことは地元の方々は気づいていたのに、調査に入った人たちが伝統食にばかり注目しているので、言い出せなかったということでした。
実際は、現地でないとわからないことがあり、データや論文を信じてよいのかという意識を持つことになったきっかけでもありました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕