備前・備中・備後は、古代の吉備国が7世紀後半に三分割されて成立した旧国名で、現在でいえば岡山県東南部(備前)、岡山県西部(備中)、広島県東部(備後)に相当します。
私が東京から移住して住んだのも、これから住むところも岡山市内なので、備前に当たります。
「前・中・後」を意識していたのは生まれてから高校卒業まで住んでいた新潟県でのことで、新潟県は越後、富山県は越中、石川県は越前という大雑把な認識でも特に問題なしでした。
東京ではテレビ時代劇ドラマの制作にも関わっていたので、旧国名を原稿に書き入れることが何回もありましたが、越前・越中・越後のうちで最も多く書いたのは越前でした。
その中でも頻繁に出てきたのは越前守です。
越前守(えちぜんのかみ)といえば、大岡越前としても知られる大岡忠相が有名で、8代将軍の徳川吉宗の信任を受けて、享保の改革を推進した名奉行です。
越前守は律令制度の官職名(受領地名)で、これが江戸時代には名誉称号となっています。幕府の要職を務めた歴史に残る実績がある人に与えられるという認識です。ということで、大岡越前は越前の出身ではないわけです。
話は備前に移りますが、備前守(びぜんのかみ)は歴代の多くの大名が名乗ってきています。最も有名なのは京極高久で、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵宣以(火付盗賊改方)の直属の上司の若年寄です。
京極高久は丹後国峰山藩6代藩主で、丹後は丹波国の後方(北側)であることから呼ばれています。
丹後とともに丹前(たんぜん)も聞いたことがある名称かと思いますが、丹前という地名は存在しなくて通称です。それは江戸の街の中で、今でいえば千代田区の神田淡路町の交差点の近くにあった湯屋を指します。
丹後守の下屋敷の前にあったことから丹前風呂と呼ばれ、そこで客が着た防寒用の褞袍(どてら)は丹前と呼ばれました。
その時代の丹後守は越後村上藩の藩主で、丹後国とは関係がないのですが、時代劇でも時代小説でも間違った説明がされることがあり、そのたびに資料を持ち出して、ツッコミをしていたものです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






