日々邁進29 霞が関での役割

霞が関のお役所に頻繁に出入りして、厚生労働省から、内閣府、消費者庁などに関わるようになったスタートは厚生労働省でした。厚生省と労働省が統合されて厚生労働省が発足したのは2001年の年明けからです。

私の役割は新体制での業界出向で、情報交換や業界調整を行うだけということで、2000年の中頃に当時の保険局長から声をかけられました。そして、ほんの腰掛けのつもりで(合併して発足した1月初めから3月末まで)、“業界出向の形”で、お手伝いをすることになりました。

関わってきた業界は栄養、食品、病院給食、それに健康食品・サプリメントの世界で、“ここからの出向”というのが本筋なのでしょうが、あくまで“試験的”ということで、どの業界からということでもないまま週に1〜2回出向くことになりました。

初登庁のときに、受付まで担当者が来てくれて、連れて行かれたのは事務次官室です。そこで「新任挨拶」の版が押された厚生労働事務次官の名刺を差し出したのは、前職が保険局長の見知った方でした。

そして、私の名刺も用意されていたのですが、書かれていた所属は事務次官室でした。それ以外の肩書きのようなものが書かれていない名前だけの名刺で、その名刺を出せるのは許可を受けた関係先だけなので、20枚ほどしか使っていません。

3か月ほどの予定だったのが、すぐに保健機能食品等のアドバイザリースタッフの検討が始まり、その委員会に役人でもない、業界関係者でもない、有識者でもない、何者かわからない状態で座らせられていました。

それは1年ほど続いて、2002年3月には「保健機能食品等に係るアドバイザリースタッフの養成に関する基本的考えについて」の通知が出されています。

それと並行して、さまざまな新たな仕組みづくり(雑用?)に関わることになる霞が関の方々、業界団体の方々を紹介してもらいました。

それが新たな法人の設立、運営に加わり、広報活動をしていくことに広がり、東京を離れる2017年まで、それぞれの仕事先と霞が関をつなぐ活動は続きました。

ほとんどの方は、私が霞が関を歩くのは取材や広報の仕事だと思っていたようですが、詳しいことを伝えることなく、霞が関で得た方法と知識を活かして、それを関係先が上昇していくために役立つことをしてきたつもりです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕