日々邁進5 書くことの挫折の連続

文章を書くことの変遷は日々邁進1、日々邁進2で書いてきて、途中に「そもそも邁進は何を示すのか」という話を2回挟みました。今回は書くことの続きですが、時代の流れに合わせて「書く、打つ、タップ、話す」と変化してきたわけではありません。

初めて商業誌(一般に販売される書籍)に原稿を書いたのは大学2年生の時のことで、クラシック音楽専門誌に短い原稿を毎月、書かせてもらったことでした。

私が通っていた大学の近くに歴史に名を残すような編集者が住まわれていて、そこに勉強のためにうかがっている時に息子さんがクラシック音楽専門誌の編集長であることを知りました。

そこから原稿を書くアルバイトを続けることになった経緯は、他の連載コラムで書いているので省略させてもらうとして、その経験が厨房機器の業界団体の月刊機関誌の編集(大学4年生から10年間)、スポーツ専門誌(バレーボール、バスケットボール、テニス)の執筆と編集につながり、大手出版社の書籍のゴーストライター15年間(150冊)へとつながっていきました。

転職をしたというよりも並行して続けていたので、途中で右の手指が腱鞘炎になって、もう手書きができないことを出版社に伝えたら、ワードプロセッサーが自宅に送られてきました。1983年のことで、当時は安価になったと言われても70万円を超えていました。

その出版社はバックに大手家電メーカーがついていたものの、当時はワードプロセッサーの製造はしていなくて、ライバル会社の製品でした。

これで書くから打つになり、なんとか打つことで書くよりも早く文章作成できるようになった時に、利き腕の右手の指と手首を傷めて、右指は2本、左指は4本が使えるという状態で打ち続けることになりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕