「時間は誰にも平等なのか」というお題で前回は話しましたが、時間の長さは1日24時間と均等であっても、その活かし方によっては同じ長さとして使えるかどうかは、それぞれの人の考え方と能力によって違うということは多くの人が納得してくれるかと思います。
ここで時間塾の基礎知識というか、基本的に押さえておいてほしいこととして、今回のお題の「平等と公平の違い」について説明をさせてもらいます。
平等も公平も似たような感覚で捉えられることもあるのですが、明確に分けるとすると「平等」は全員に同じことをすることで、「公平」は個人にニーズに応じて対応することになります。
同じだけの食事が提供されて、それで全員が満足できるのであれば、これは「平等」ということができます。それに対して、個人によって必要な量が違っている場合に、同じだけの量を提供してはいけないわけで、個人も合わせて増減させるのが「公平」ということになります。
後者の考え方を不平等とする見方がないわけではないのですが、もう一つ例をあげると子どもに提供される踏み台の高さがあります。背が低いために壁の向こう側が見えない複数の子どもに対して、同じ高さの踏み台を用意するのは「平等」の考え方です。
背の高さが違う子どもがいて、一人には高すぎる、もう一人は踏み台に乗っても見えないという場合に、「踏み台を用意したのだからよいではないか」というのではなくて、それぞれに必要な高さの踏み出しを提供して、全員が同じように見ることができるようにするのが「公平」です。
時間についても同じようなことが言えるわけで、全員に同じ時間を与えて、同じ(ような)結果を求めるのは「公平」ではありません。考え方によっては「平等」でもなくて、時間という機会は均等であっても、結果が均等ではないのは当たり前のことです。
その当たり前を、当たり前のことと考えることが重要であるということが、時間塾の基本的なスタントとなっています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕