業苦楽は、自業(自業自得の自業)のために苦しむ“自業苦”(じごく)と対比される言葉で、これは業苦楽(ごくらく)と読みます。これは浄土真宗の宗祖の親鸞聖人の書に出てくる含蓄のある言葉です。
業苦楽は自業苦を経験してこそ辿りつく心境であって、地獄が存在しない浄土真宗らしい表現ということができます。また、地獄が存在していないことから、地獄に相当するような苦しみの世界は生きている間に経験することで、これが“自業苦”ということです。
“業”は、ただ自らがやってきたことということではなくて、「理性では抑えられない心の動き」を指すこともあります。この理性で抑えられないことが、燃え盛る火によって熱せられてグツグツと煮えた状態になるのは「業を煮やす」と表現されます。
「物事が思うように進まずに腹を立てる」ことを意味していて、通常であれば煮えたものであっても火を弱める、火から離れることで鎮める(落ち着いた心境になる)ことはできるかもしれません。
ところが、業火(ごうか)によって「業を煮やす」ところまで進んでしまうと、火を消したとしても、熱せられたままで怒りの状態が続くことにもなります。
業火は、仏教で悪業(あくごう)が身を滅ぼすことを火にたとえて使われる言葉で、地獄が存在している宗派(浄土真宗以外)では罪人を焼き苦しめる地獄の火を指しています。
お題の「業を煮やす“苦”は冷めにくい」は、身を滅ぼすような行動をしても、それを気づいていない、気づいていても気づかない振りをしている人がいることを示そうとして取り上げました。
業火になるまで止めることができない人は、その火で自らの焼かれることにもなりかねないだけに、火の状態を確かめること、自分ではよいと思ってしていることが他の人にとって業火となっていないか常に確かめることが必要だということを伝えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






