業苦楽22 苦の先の業苦楽

テーマの「業苦楽」(ごくらく)は、自業(自分がやってきたこと)によって苦しむことを経験した先に“楽”があることを指しています。これは浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の書にある言葉です。

「業苦楽」の手前にある自業によって苦しんでいる状態は「自業苦」(じごく)であって、死後の地獄が存在しない教えの浄土真宗では、地獄は生きている間に経験する「自業苦」であるとの解釈です。

自業というのは、自らの業(すべての行為)ということなので、自分のやったことが自分にだけ返ってくるということならまだしも、その結果は自分の家族にも直接・間接を問わず降りかかってきます。

家族なら、良いことも悪いことも一緒に経験するのは仕方がない存在ではあっても、これが他人となると“仕方がない”では済まなくなります。それは経営者と従業員の関係、従業員の上下関係であっても、他人であれば、その人の業の影響を受けることなど誰も望んではいません。

このことは自業による苦を与えている人は案外と気づいていなくて、苦を与えられている人にとっては、思った以上に苦しい思いとして感じてしまいます。

よく言われる「足を踏まれた人の痛みは踏んだ人にはわからない」ということと同じで、そのようなことがないように心がけていたとしても、痛みを与えることはあるのです。

それだけに、自業によって周囲を苦しめていることからも解放されることまで思いを及ばせて、苦の先の業苦楽(ごくらく)を与えられるように努めるべきだということを伝えさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕