霞が関のお役人が天下り先の確保に必死に動くのには、いくつかの理由があります。競争社会(超有名大学から入省までの試験、その出世争いまで)を乗り切っても、国家公務員として正当に受け取ることができる金額は民間に比べると少ないものです。
その分を取り戻すとするかのように、退職後は財団法人や大手企業に籍を移すのですが、退職を前にしての出向となると、給料も多くはありません。数年いては退職ということを繰り返すと、退職金が重なって、それなりの金額を得ることができます。
退職前に出向するのは、霞が関の慣習というか伝統があって、同期入省した人が組織のトップになると同期は出向となります。その先輩も出向となって、トップが仕事をしやすい(口出しをする人がいなくなる)という環境が整えられます。
また、以前に比べて多くの人が長生きになってきたので、なかなか席(籍)があかないということもあって、できるだけ好条件で出向する、もしくは退職をして受け入れてもらえるところを現役時代に作っておくことが重要になります。
限られた席を奪い合うのではなくて、これは“あの人”の指定席ということにするために最もよい方法は、その指定席を現役時代に新規に作り上げることで、そこに力を注ぐことになります。そういった意向もあって、余計な法人、余計な予算がつけられるということが繰り返されてきました。
その苦(自業苦=じごく)は、後々の楽(業苦楽=ごくらく)のためということで頑張って働くわけですが、それの一定の役職に就かない限りは、なかなかできないことです。
厚生労働省の健康部門の局長だった方は、「成人病を生活習慣病に変えた」という実績があり、そのおかげで新たな法人ができて、新たな活動も始まり、企業なども支援に集まって、退職後は局長の指定席となりました。
その実績のために動いた後輩は、指定席をバトンタッチしてもらうことができたのですが、バトンタッチのタイミングで、その法人の理事長を譲るときに、「次に続く人のための場所であり、そういった場所を作ることを後輩に教えるための行動であった」と話していました。
その場所が、ずっと国民の健康づくりに役立つことであれば、天下り先の確保は決して悪いことではないと言うこともできます。しかし、そうではないことが結果で明らかになった方が、過去には何人もいたのも事実です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕