正念1「正念場との出会い」

この原稿(連載コラム)のタイトルの“正念”は「しょうねん」と読みます。正念の後に場をつけると正念場となり、そのことから別の読み方(せいねん)をされることは、ほぼありません。

正念場(しょうねんば)は、人の価値や真の実力などが試される、非常に重要な局面のことです。歌舞伎や人形浄瑠璃などでは、その役の性根(根本的な心構え)、役柄を発揮する最も重要な場面(見せ場)を指しています。

こういった説明をされると、気力、体力を充実させて(ギアを上げて)、一気呵成に進めていくことが想像されるところですが、興奮状態になってはいけないのが正念場に取り組む姿勢とされています。

重要な局面であればこそ、冷静な判断を下す必要があって、興奮状態になってしまうのではなく、その一方で冷静に自分を見つめるという心身ともにバランスの取れた状態でいることが求められます。

タイトルに掲げた“正念”については、さまざまな解釈があるのですが、その中でも多くの賛同が得られているのは「この瞬間に意識を集中させる念」という解釈です。

“念”は、常に心の中に往来している想いのことで、注意をするという意味もあります。前者は「悔恨の念」ということになり、後者は「念の為に」という意味合いとなります。

文字の作りから、上下に分けると「今」と「心」を組み合わせた形となります。このことから「今を大事にする心」が念であると説かれることもあります。

「今を大事にする心」といっても、それが正しいものでなければいけないはずで、今を大事にして、正しいことをするのが“正念”を言葉として使う人に求められることであるとの思いを抱いています。

このような解釈でよいのか、意識を集中させることでよいのか、意識を集中させるために何をすべきなのか、意識を集中させたことによって何が変わっていくのか、ということを書き進めていく中で明らかにしていくことを目的として、連載コラムの形式で書くことにしました。

“正念”を強く意識した生活や活動を進めていけば、無理をすることなく、正念場を迎えることができるはずです。

その生活と活動の手段も、さまざまな方法が存在していますが、私が続けてきたのは“書くこと”であり、書くために考え、書くことによって正念場を迎えることができて、それが人生の転換点になることを信じて、この文章を書き始めています。
〔小林正人〕