正念とは、そもそも何なのか、自分の感覚や考えではなく、“定義”として伝えられていることを書き記すことにしました。
正念は、今この瞬間に意識を集中させる念であり、仏教では五根(ごこん)と呼ばれる修行の根本的な能力の一つとされています。
〔五根〕
正念:真理に基づいて物事をありのままに認識し、雑念を払い、常に正しい思慮を保つこと
信:教えを理解し、素直に受け入れる清らかな心
精進:修行にひたすら励むこと、正しい目的に向かって努力すること
定:集中して心の散乱がない状態
慧:事の道理を見抜く力(慧眼)
「正念」はインド哲学の根幹のようなもので、“瞑想”と位置付けられることもあります。瞑想は、マインドフルネスと簡約されることがあります。
マインドフルネス(mindfulness)は、現在(世界的にも身の周りでも)起こっている経験に注意を向ける心理的な過程で、状態を示すと考える人が多いかと思います。
しかし、マインドフルネスは意識的な行為であって、周囲で起こっていることを体(感覚器)で感じて、頭で考え、心で感じていることで、超シンプルに表現するなら“気づき”となるかもしれません。
「周りの判断や評価とは無縁な心を解放した状態で、すべてをキャッチするために注意を払うこと」という説明をされることもあります。
“正しい今の心”と言うべきか、それとも“今の心を正しくする”と表現すべきが判断が分かれるところではあるものの、これが絶対であり、これでなければ駄目ということではないはずです。
そもそも正しいことかの判断は人それぞれ(千差万別)で、その判断も変化をしていくもの(千変万化)です。
それぞれの人の今の感覚で、正しいかどうかを判断すべきではない、というのが説法的な教えということになるようです。
しかし、自分は正しいと信じていて、今の状況では最良の方法と判断した結果の行動が、周囲の方々に悪影響を与え、本来の目的を見失った身勝手な行動になっている例は嫌というほど見てきました。
これについては、どこかのタイミングで、個人が特定されるようなことがない形で、書き残しておこうと考えています。
〔小林正人〕






