右に行くか左に行くか、進むべきか止まるべきかという選択の分岐点に立ったとき、何をベース(根拠)にするかは人それぞれであるとしても、その判断の前に思い返すべきことがあります。
それは、どの道を選ぶかということではなくて、これまでの選択が正しくて、その結果として今の分岐点に立つことになったのかどうかということです。
反省からのスタートは望ましいことではないとの考えもあって、そんな余分な時間があれば一歩でも前進すべきだとの考え方もあるのかもしれません。
しかし、分岐点で選択したことが“結果オーライ”ではなく、自分のマインドに合っていたのかを振り返るのは重要なことだと認識しています。
とりあえず良い結果になったとしても、マインドに合っていないことでは、長くは続かないことであり、次の選択を迷いなく行うことができなくなってしまうからです。
これは単純に立ち止まって考えてみよう、それから歩み出すようにしようという「急がば回れ」や「看却下」とは明らかに違っています。
迷いのない選択は、自分の意思があって行ってきたことです(“行ったと信じていないこと”かもしれないのですが)。
自分の意思は、他に比べることがないオリジナルのマインドであるはずで、自分の考えであると確信して実践してきたことが、実は他の人の意思であったというようなことはないと信じたいのは誰もが同じことです。
しかし、そうではないことが起こるということも、また誰しも感じることです。
誰かという特定の人ではないとしても、世の中のムードが醸し出した忖度(そんたく)であったり、万人受けすることに流されて決定しても、それを自分の意思であったと思い込んでしまうことがあります。
それは自分の選択が間違いではなかったと信じたい、少なくとも思い込みたいという気持ちがあるからではないでしょうか。
「正念」の連載コラムの中でオリジナルマインド(Original Mind)の観点で書いたのは、自分で考え、自分で責任を持って突き進んでいくためには、いかに自分のマインドが重要であるかを真剣に問うているからです。
その意味するところを明らかにしていくために、例をあげながら書いていくことにしますが、徐々に紐解いていくことができたなら、その理解の上で「正念」との関わり、その中でも何を優先させるべきなのかを示すことができると考えています。
〔小林正人〕






