自業苦・業苦楽11 兄弟の距離感

与えられた環境の中で暮らすしかないことは、その時は苦しさを感じることであっても、いつしか楽に感じるようになったり、楽しみを倍増させる結果になるということはあります。

しかし、それが親子関係、兄弟姉妹関係となると、望んだようにはいかないということは多々あります。私の場合は、弟しかいないので“兄弟関係”ということになります。

「親は選べない」ということは、生まれた生活環境が人生に影響を与えるということから“親ガチャ”と表現されることがあります。兄弟ガチャとは言わないものの、兄弟の存在も親と同様に選ぶことができないのですが、人生はお互いに選ぶことができます。

弟とは4歳と3か月の違いなのですが、母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)で3歳から3年間暮らしていたときに、警察官であった父親の勤務地の山奥の駐在所兼住宅に行っていて(里帰り?)、朝、目覚めたときには弟が誕生していました。

高校は親元を離れて学んでいて、その後は大学生として東京で暮らした期間を合わせると52年間は弟が長男のような感覚でした。

地元の人は、ずっと父母といる弟が長男だと思っていて、葬儀のときに菩提寺の住職から「どちらさんですか?」と聞かれたときに、私の実家ではなくなったと感じたものです。

それが大学時代から44年間暮らした東京から縁も所縁もない岡山に移住するときに、実家のある柏崎に心引かれることがなかった理由です。

柏崎は新潟県の中でも全国的に知られた存在で、それは原子力発電所の街だからです。

大学1年生のときにアルバイト先(と言っていいのか)である地元出身の総理大臣の私邸に出入りしていたときに、原発計画の詳細を知りました。

弟は東京で学び、仕事もしていましたが、地元に戻りたい、将来的には実家で暮らしたいと言ったときには、喜んで応援をしました。

弟の結婚が決まったときには、父親に言われるまま財産を放棄する文書にサインをして、何ももらえない立場になることも特に感情を出すことなく受け入れました。

今では安否確認だけの関係になっていますが、これもSNSの時代ならではのことかもしれません。
〔小林正人〕