自業苦・業苦楽9 業苦楽の始まり

新天地に足を踏み入れた瞬間に、別のところに出ていくことが決まっていて、それも早ければ1年先のこと、しかも自らの移動を決める権限が一切ないとしたら、どれだけ現在の場と人に力を注いでよいのか判断がつかないのが普通のことです。

私の場合は、父親が転勤商売と呼ばれることがある警察官で、物心がついたときには1〜3年での引っ越しが当たり前という状態でした。物心がついてからならまだしも、その前に引っ越し生活のスタートを切るという状況であったことは前回(自業苦・業苦楽8)書きました。

これが“自業苦”(じごく)の始まりであったなら、同時に“業苦楽”(ごくらく)の始まりでもあったと考えることができます。考えるだけでなく、現実化させることができるかもしれませんが、そのことに影響を与えているのは“意識”だと捉えています。

そのようなことは、親元を離れて母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)で暮らした3年間(3歳から小学校に入学する直前まで)は思いつきようもなかったはずですが、寺院は山の中腹にあって、見えるのは眼下の漁師町と日本海の波、そして遠景には佐渡島という環境で、一人になる時間はいくらでもありました。

町では3番目にテレビが入ったとはいえ、まだまだ情報から遮断されたような環境でした。

今でいえばデジタルデトックスで求められるような環境で、情報過多によるストレスを軽減させ、心身のリフレッシュとリセットを求める場と、ほぼ同じような状態、わざわざ不便さがよいと訪れるようなところでした。

何か起こったら考える、何もなくても考える、思った通りにならなくても時間だけは自由に使える、というような環境は、今にして思えば(当時も同じようなことを考えていたとしても記憶にない)、これが苦しい環境から、それを土台(スタート地点)にして、楽しい環境へと進んでいくという姿勢を作り上げたように感じています。
〔小林正人〕