言い間違い26 人を食べた話

言葉は乱暴な感じがするものを避けて、できるだけ優しい表現をすることがすすめられますが、優しい表現、丁寧な感じの表現をすればよいとは限らないこともあります。

食べることを“召し上がる”という尊敬語が使われることがあり、そういった表現をする研究者やライターもいます。

「食べることの大切さ」という話を「召し上がることの大切さ」と言い換え(書き換え)るのは許容範囲としても、「召し上がることは生きること」と表現されると、目上の人や敬意を払うべき人だけの話かとの違和感も生じます。

相手を小馬鹿にした態度、人としてまともに取り合わない様子、人を人とも思わない言動、ずうずうしい態度を表現するときには「人を食った」という言葉が使われます。「人を食った話」というような使い方です。

これは正しい表現ですが、丁寧な言い方をしたつもりで「人を食べた話」というのは完全な誤用です。“食べた”というのは、実際に口に入れて処理をしてしまうことなので、これは文明人のすることではありません。

「人を食った話」というのは、人が何か話をしているときに途中で割り込んできて、その話に関連して自分が話したいことを話すことを指しています。

人の話を途中でパクッと食べるように自分のものにすることであるので、まさに“食った”という表現が適しています。

さすがに「人を召し上がった話」と表現されることはないかと思っていたら、同じ表現を雑誌の記事で目にしたことがあります。そのときには、人参の参が抜けたのではないか、“と”を“を”に打ち間違えたのではないかと思ったものの、前後の文脈を見ると、人を食ったを召し上がったに変えたために起こったことだとわかりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕