負の歴史3 責任の所在を明らかにさせない言葉づかい

過去の失敗を繰り返さないようにするために、言葉選びが慎重になるというのは当たり前にあることで、霞が関に限らず地方のお役人からも“言葉尻”をつかまれないようにする、できるだけ確定用語は使わずに“曖昧表現”に徹するというのは、よく見られることです。

それもテレビカメラが入って全国放送がされている場面や、災害時の緊急情報であっても、確定表現がなしなので、どんな行動をとったらよいのか判断がつかなくなることもあります。

公務員は、やったことに責任をとることはない(犯罪行為でない限りは)ので、確定的に言ったことが実際には違っていても、謝れば済むということがあります。だから、確定表現をしてもよいはずなのに、現役公務員だけでなく元職でもあっても曖昧表現ばかりで、何が言いたいのかわからないことがあります。

提案ごとであるのに「〜があってもよいのかなと思います」と言い、その前後に「個人的には」とつけられたりします。また、「今のところは」とか「条件が整えば」がつけられて、さらに「〜と考えることが」や「〜という方向の」、「〜的な」という装飾用語もつけられることがあります。

長い例としては、確定的なことを言った後に、「もしも条件が整えば、今のところは、〜という方向のことがあってもよいのかな、的なことを個人的には考えることがあります」という言葉の羅列も実際に聞きました。

こうなると何を言いたいのかもわからなくなってしまいますが、これはよほど懲りたことがあって、何があっても絶対に責められないようにする布石ということです。

誰の意見を聞くのかを判断をするときには、曖昧表現がない人、少ない人を優先させるべきで、曖昧表現の数が多くなるほど信頼が置けないという判断をされるのは仕方がないことです。

ということを書いている私の文も、いくつかの曖昧表現と取られても仕方がないような表現をしてみました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕