「心が折れる」という言葉の心理(本当の意味)を知ってか知らずか、「心が折れるという言葉が出るのは心が弱い証拠」とか「心が折れると感じるようなプレッシャーを経験しないと強くなれない」と言って、「心が折れる」と感じさせられることを続けてくる人がいます。
その多くは上司や経営者で、負担がかかることを平気で言ったり、やったりしています。
そのことを悪いことをしている、申し訳ないという気持ちが少しはあって続けているならまだしも、その成果を確信して相手が弱っていることを承知していて、どんどんとエスカレートさせていく人も少なくなりません。
そんな人に対して、「本当に相手の心を折ってどうするのか」と注意したり、接し方をアドバイスすることもあるのですが、確信犯のような人には、まったく通じないことがあります。
確信犯という言葉については、悪いことをしていると確信して犯罪を犯している人のことだと勘違いされることがあるのですが、実際には逆のことで「悪いことではないと確信して犯罪を犯す人」のことを指しています。
犯罪行為ではないとしても、確信犯的なことを続けていて、取り返しがつかないことになっても、そのことを責められても“聞く耳を持たない”という態度は変わることがないのがほとんどの例です。
このことを書きながら、「潔白だ」「違法行使はない」(犯罪を犯していない)と発言していたサプリメントも販売する飲料会社の会長の発言を思い起こしていました。
このような人に対して「メンタルが強い」と表現されることがあります。近畿地方の県知事や伊豆半島の市長、さらに総理大臣に対して使っているメディアもあるのですが、メンタルの強さは表面上のことで、実際には「心が折れる」状態で頑張っていることが多いのです。
他人には推しはかることができないだけに、安易に「心が折れる」ことで責めてはいけないのではないか、ということで、この項を閉めることにします。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕