金言の真理35「兵隊の靴」1

作曲家の米山正夫先生からいただいた「兵隊の靴」という言葉は、今も心に残っていて、これを金言としていいのかという思いはあったのですが、何度も反芻してみると、これは「処世上の手本とすべき内容を持つ優れた言葉」という意味では立派な金言です。

人生に大きな影響を与えるような言葉ではないとしても、この言葉に巡り合ってからというもの、良きにつけ悪きにつけ振り返ってみると“腑に落ちる”ことが何度もありました。

米山先生は、作曲家としては1000曲以上を世に送り出していいますが、作詞家ではないので、作品の中で金言を発する機会は多くはなかったようです。作詞と作曲を同時に手がけた作品もあって、その作詞した内容は、すべて目にする機会がありました。

中には、心に残る言葉もあったのですが、それにも増して「兵隊の靴」が今も残っているのは、米山先生の自宅に音楽関係の新聞のコラム原稿を受け取りに行ったときに渡された1枚の原稿用紙に書かれた「兵隊の靴」という4文字でした。

受け取るつもりだったのは原稿(800〜1000字)であって、そのタイトルだけでしたが、「根幹の言葉さえできれば、あとは時間がかからない」という言葉を信じて、待たせてもらいました。受け取ったのは45分後のことでした。

それは1981年のことであったので、米山先生が69歳、私が26歳の時でした。

そのコラムの内容は、「兵隊の靴は〜」から始まり、最後は「だから兵隊の靴は窮屈だ」で締めくくられていて、その間に他人に合わせることの窮屈さ、それでも合わせなければならない人の心情が綴られていました。

兵隊の靴は、文字通り兵隊が履いている靴という意味があり、たとえとして使われることもあって、その意味するところはサイズが大・中・小くらいにしか分かれていない既製品(レディーメイド)を指しています。

既製品に足が合えばよいものの、合わない靴でも履かないわけにはいかず、きつくても我慢する、大きくても我慢するしかないということで、個人の条件を無視した対応のことを揶揄(やゆ)するときに使われています。

その真理の部分は、次回(金言の真理36)に続きます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕