作曲家の米山正夫先生の「兵隊の靴」という言葉は、この4文字だけでは素晴らしい教訓とは思えないかもしれないのですが、無理に合わせるようなことをすると、それが窮屈といったレベルではなくて、耐えられない状態になる、早めに抜け出すことを指し示す金言と感じています。
兵隊の靴は、今の時代であれば「履きやすい=戦いやすい」ということで、効率の考え方が昔とは違っています。米山先生が言っている兵隊の靴の時代は、第二次世界大戦のことで、戦うことを考えての効率といっても早く、安く量産することを指しています。
あまりにサイズ違いの靴では、戦いどころか歩くのにも苦労をすることになるので、複数のサイズを揃えるとしても、今のように長さは1cm刻み、幅も5段階というわけにはいきません。
サイズが大・中・小くらいにしか分かれていない既製品そのもので、以前に実際に戦争に行ったことがある方(私の武道医学の師匠)に、どんな履き心地だったのかを聞いたことがあります。
サイズが合うのは、ほんの一握りだけで、小さすぎる、大きすぎるという人がほとんどだったとのこと。
そんな状態では、どんなに能力がある人(兵隊に限らず)であっても、作戦どおり、戦略どおりに動くのは難しくて、結果を出せと言われても出せなかったということも納得がいくところです。
話は靴から飛躍しますが、オーダーメイドではない、自分には合わないものに合わせるということは、初めのうちはなんとか対応できても、それがずっと続くと我慢も限界に達します。
現在の自衛隊であったら除隊して他の職業に就けばよいところですが、昔の強制的に入隊させられた軍隊では、我慢できないことを、ずっと我慢し続けることになります。
“ならぬ堪忍するが堪忍”という諺(ことわざ)は、ただ堪忍(我慢、耐え忍ぶ)すればよいという意味ではなくて、「誰でも我慢できることが我慢のうちには入らず、とても我慢できないことを辛抱することが大切」という意味で使われています。
その“とてもがまんできないことを辛抱させられている”のが今の社会ではないか、若者が突然にキレるようなことになるのは“兵隊の靴”の状態ではないかと考えるようになりました。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕






