金言の真理58「看脚下」1

「看脚下」は金言ではなくて、標語ではないかと言われることがあります。それはまだよいほうで“注意書き”と思われていることもあります。というのは、寺院の玄関の下駄箱(靴箱)に、履き物を揃えるように促すように書かれている紙で、よく見る3文字だからです。

看脚下(かんきゃっか)は、寺院では「足元をよく見なさい」という意味で、書かれていることはあるのですが、玄関で足元を見るだけでよいのか、足元をよく見て履き物を揃えてから中に入ればよいのか、という疑問を抱く人は少なくないかと思います。

看脚下は、寺院の中でも、元は禅寺(禅宗の寺院)に掲げられていたのですが、それは禅宗では“自分自身の現状をしっかりと見つめて、足元から着実に行動すること”の重要性を説く言葉として使われてきました。

看は「みる」と読むものの、注意して見る、見守る、目の上に手をかざして見るといった意味があります。文字の成り立ちからいうと、手と目が組み合わされていて、これだけでも、しっかりと見ることが表されています。

看守や看護にも同じ文字が使われていることから、ただ目を開いて見ていればよい、という意味合いではないことがわかります。

脚下は、足元や足の下と辞書的には書かれているものの、脚と足では部位が違っています。

脚は足首から骨盤(レッグ:leg)を指しています。足は足首から下の部分(フット:foot)で、通常の履き物を履くのは足です。

ブーツは脚の一部と足を覆うもので、脚全体を覆うものというと水中作業用の防水カバーということになります。

この伝から言うと、足を組む、足を伸ばすというのは違った使い方ということになりますが、慣用的な使い方ということで許されています。

金言としての「看脚下」については、次回(金言の真理59)に続きます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕