PHP研究所は松下幸之助さんが設立した研究機関ですが、一般には研究所というよりも出版社のイメージがあるかと思います。原則的には京都本部は研究、東京本部は出版という区分けになっています。
前回(金言の真理5)は、「松下政経塾 塾長講話」のテープ起こしの依頼を受けて、松下さんの言葉を直に聞きながら原稿作成に取り掛かったということまで書きました。
当時は他にも複数の仕事をしていたので、1か月の時間の猶予をもらったのですが、2週間ほどで終わってから、自分の勉強にもなるかと思って、1冊の分量(400字詰め原稿用紙で300枚)になるように書いてみました。
締切の5日前にテープ起こしの原稿を持って編集部に行ったのですが、私に依頼した編集部長は京都出張で、副部長が対応してくれました。そのときに困惑するような発言がありました。
「依頼したのは書籍に使う原稿であって、テープ起こし原稿ではない」「これを元に、あと何日で原稿が仕上げられるか」ということでした。
普通なら、そんなことは聞いていないと怒って席を立つか、テープ起こしだけのギャラの話をするところですが、勝手にやったことではあっても、たまたま書籍用の原稿を勉強のために書いていました。
それを渡して、その場で見てもらい、あと5日で原稿を完成させると言ったのですが、「それは必要ない」と言われました。その言葉に、これでPHP研究所との付き合いは終わったかと思ったら、「これを編集に回す」と言われました。
『松下政経塾 塾長講話録』は1冊だけの発行の予定だったのですが、発行初日に増刷が決まり、その翌週にはシリーズで連続刊行することが決まりました。その原稿作成も私に依頼がありました。
これがゴーストライター歴の始まりでしたが、松下さんが話したことを書籍にするだけだったので、それほど苦労するようなことはありませんでした。しかし、シリーズの最後の打ち合わせのあとに、編集部長から4人の編集部員を紹介されました。
これから通常の書籍だけでなく、新書のシリーズが2つ始まるので、それにも参加できないかということで、それぞれの書籍の内容の説明を受けました。1つは書籍の内容を比較的ライトな感じにするもの、1つは女性向けのシリーズでした。
他の2人は従来の形式の書籍の担当で、こんな出版企画があるというリストを見せられて、それもできないかという相談というか依頼でした。
1か月に1冊程度の執筆で、他の仕事をしながらでよいということで、限界がきたら断らせてもらうという話をして(まだ30歳前の生意気盛りであったので)、引き受けさせてもらいました。それが、まさかという感覚ですが、1981年から1995年まで続いて、150冊のゴーストライターを務めることになりました。
これが、お題の「困った時の神頼み」と、どう関わっているのかというのは、次回(金言の真理7)に書かせてもらいます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕