金言の真理7「困った時の神頼み」3

「困った時の神頼みじゃないけれど」と言われたのは、PHP研究所のゴーストライターを月に1冊のペースで続けながら、同時に参加させてもらった臨床栄養のH.D.S.研究所の主任研究員を務めていたときのことで、その世界では超有名人の一人であった山本辰芳所長が発した言葉でした。

日本臨床栄養協会の機関誌の編集に加えて、全国病院調理師会の機関誌の編集の依頼がありました。ともに季刊発行(年4回)で、発行時期がズレるようにしてくれるといっても年に8回の仕事を新たに入れるのは、それなりに大変でした。

「神頼みじゃない」ということなので、他にいないので仕方なくという意味合いもあったのでしょうが、2〜3年ならできるかも、という感じで引き受けました。

H.D.S.研究所はJR御茶ノ水駅(東京都千代田区)から徒歩圏の神田明神の近くにあって、PHP研究所も当時は御茶ノ水駅の近くだったので、比較的便利なところにはありました。当時の私は原宿の住人で、地下鉄千代田線で明治神宮前駅から新御茶ノ水駅は17分の乗車時間だったので、これも楽なところでした。

「神頼みじゃない」ではなくて、「困った時の神頼み」と言われて“神様扱い”してきたのはPHP研究所の編集部員でした。

これまでは書籍のゴーストライターだけだったのですが、同社は複数の雑誌も発行しています。超有名な「月刊PHP」には関わらなかったものの、他に月刊誌としてビジネス誌から提言誌、歴史雑誌まであって、こちらの原稿の書き手が足りないということで、それぞれで執筆と編集の作業をしてほしいと拝み倒されてしまいました。

そんなことを頼まれたのも、私が2つの団体の機関誌の編集をしていることを話して、また発行物を見せていたことが影響していたので、断りにくいということもありました。

必死になって拝むのは神仏と同じようなものかもしれないということで、「困った時の神頼み」という言葉が妙に納得できてしまいました。

単に原稿を書いたり、編集を手伝ったりをして勉強になるということだけでなくて、“経営の神様”の出版社の仕事を通じて、経営の一端が学べればとの思いもあって、15年間も続けることになりました。

このPHP研究所の雑誌の仕事は、私の実績にはカウントしていません。というのは、よい記事が書けると、それが書籍になり、雑誌の仕事なのか書籍の仕事なのかわからないような状態だったからです。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕