金言の真理99「おまんた」3

全くの見知らぬ人に対して、親しみを込めて呼びかけることは一般の感覚としては極めて珍しいことで、怪しい風体でなくても1人でウロウロしていたら警戒をされるのが普通のことです。

1人だとコソ泥かもしれない、ということはあっても、2人以上なら疑ってかかることもない(観光客かもしれない)ということは以前にはあったのでしょうが、トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)が珍しくなった時代には、かえって2人以上は怪しいという感覚になっています。

そんな報道を目にするたびに、思い出すのが道で出会った人に親しみを込めて「おまんた」と呼びかける糸魚川の方々のことです。

“転勤商売”と呼ばれる父親の職業(新潟県警勤務)のために、物心がつく前から住まいを転々と変えていて、全く新たな人との出会いに馴染めない私の性格もあって、親しく呼びかけられても応えにくいという感じが常にありました。

通常であれば、地方の駐在所の勤務は住民と親しく付き合うのが仕事そのもので、“駐在さん”の子どもには少なくとも避けるような態度はないはずです。ところが、私が3歳で親元を離れて、母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)で暮らすようになったのは、避けるどころか敵対する住民(村民)から離すためでした。

それは“松之山事件”の現場となった駐在所で暮らさなければならなくなったからで、当時の警察最大の不祥事が1958年の1月20日に起こりました。

松之山というと松之山温泉が有名ですが、松之山村の東川地域の駐在所の22歳の巡査が村民3人を射殺するという、後に松之山事件と名付けられた事件が起こりました。

父の赴任地から最も近い駐在所であったことから、第一報を受けて父親が現場に原付で駆けつけたところ、巡査は拳銃自殺していました。
当時は独身の巡査が駐在所に勤務することがあり、松之山事件をきっかけにして、駐在所は既婚者が赴任することが全国的に決まりました。

父親は既婚者であり、最も現場に近いところに勤務していて土地勘もあったことから、父親が赴任することになりました。住民の不信感は強く、制服を見ただけで住人は家に隠れる、子どもは泣き出すという状況で、そのようなところで、まだ幼かった私を育てることは難しいということで、母親の実家に預けられることになりました。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕