経営統合の協議と破談の流れは日産自動車のほうから断りを入れるという、本来なら弱い立場のほうが拒否の姿勢を示したのはプライドが優ってしまったというのは前回(日々修行185)書きました。
日産自動車と私の関わりは、かなり離れた間接的なものでしたが、一方のホンダ(本田技研工業)とは、もう少しだけ近さを感じていました。
初めの関わりがホンダの本社が原宿(東京都渋谷区神宮前)にあったときのことで、書籍のインタビュー取材で本田宗一郎さんに会ったときでした。この書籍は著者の代わりに書くゴーストライターの仕事ではなくて、日本のトップ経営者を複数取り上げた書籍づくりのためでした。
私がインタビューをすることになったのは、当時は原宿に住んでいて、歩いても10分もかからないところだったので、何度でも通えるということで選ばれたのかもしれません。
ホンダの本社は1985年に青山一丁目に移転しますが、本社ビル(Honda青山ビル)については雑誌の取材で訪れています。1階には本社の4輪車、2輪車のショールームがあり、青山一丁目の交差点のシンボル的な地上17階のビルでした。
高層ビルの窓は大きなものというのが流行りだった時代に、比較的小さな窓になっています。これについて本田さんは「地震や災害のときに窓ガラスが割れて、道路に落ちるようなことがあると交通に影響を与えるから」という話をしていました。
交通に関わる会社が、交通を乱すようなことはしてはいけない、という思いを記事として残すことができたと感じています。
原宿の住民であったときには、取材でHonda青山ビルに行くくらいでしたが、2003年に原宿(渋谷区神宮前)から神谷町(港区虎ノ門)に住むようになってから、なぜか青山一丁目に行くことが多くなりました。
青山一丁目駅には東京メトロの銀座線と半蔵門線、都営地下鉄の大江戸線が通っていたので、乗り換えにも便利なところでした。
Honda青山ビルにはカフェコーナーがあって、隠れた打ち合わせ場所として、よく使っていました。どちらかが待ち合わせの時間に遅れても、ショールームは時間を持て余すことがない絶好の場所でした。
そして、2007年には青山一丁目駅の近く(港区赤坂)に住むことになりましたが、玄関を出るとHonda青山ビルが見えるという位置関係でした。近くに住むようになると、ショールーム目当てで訪れる人が、そのまま打ち合わせの相手になることも増えました。
私が住んでいたマンションの近くの初めての信号を渡ると青山一丁目駅とつながる青山ツインタワー(新青山ビル)の地階への入口があり、地下商店街を通っていくとHonda青山ビルの横に出るという便利なところでした。
場所が場所だけに本田宗一郎さんのことが話題にのぼることも多く、最も多く話したのは「一つだけ後悔している」との本田さんの言葉でした。何を後悔しているのかというと、社名に個人の姓を付したことで、「会社は個人の持ち物ではない」と言っていました。
自動車業界とは別ルートで知り合った本田さんの甥御さんからも「生涯後悔していた」と聞き、親族は会社に入れても役員にはしなかったということの意味を改めて感じたものです。
経営統合については、これを書いている時点では他のところと組むことになるのか、それについてはわからないのですが、Honda青山ビルが2025年中に解体を始めて、2030年には新たな本社ビルが完成予定というスケジュールに影響しないか、遠く離れているところにいながら気にかけているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






