日々修行249 ずっと敬語で話していた

久しぶりに大学時代の同年代の同窓生と会ったときに、自分の話し方を再確認することになりました。

話し方については、これまでも意識はしていたものの、長い年月を一足飛びに縮めて(40年以上も会えていなかった)、大学時代とあまり変わらない(と感じさせる)口調で話してくるのに対して、私はといえば敬語を使って話をしていました。

大学時代の距離感や上下関係を引きずっているというわけではなくて、敬語で話すことが身につくようになったきっかけは、大学4年生のときから始まった厨房機器の全国団体(社団法人)の月刊機関誌の編集でした。

学生時代はアルバイトで、卒業した翌月から業務委託で編集を続けることになったのですが、初めのうちは業界内で付き合うのは年上ばかりでした。

業界の各社を取材などで訪ねると、社長の息子さんが専務や常務であったりして、中には私と同い年、年下ということもあって、年齢に関係なく敬語で話すようになりました。

厨房業界の社団法人から始まって、病院調理師団体、病院栄養士団体、病院給食受託会社団体、巡回健診団体、健康スポーツ団体などと、ずっと全国団体の仕事をしてきました。

多くは社団法人、財団法人で、私の年齢が上がっていくと、私よりも若い役員、職員が増えていく中で、敬語の習慣というか癖というか、それは変わることはありませんでした。

社団法人、財団法人のほとんどは、霞が関のお役人からの紹介で、お役人に対しては、どんなに年齢が下であっても敬語は常識で、今は立場が低くても、すぐに“偉い人”になることがあります。

以前から知っていた方が霞が関で役職を得ることもあり、民間人が公務員になること、軽い付き合いをしてきた人が霞が関の役所を所管する立場(大臣、副大臣、政務官)になることもあって、敬語を使うのは身についていた、というよりも、生き残るための処世のようなものでした。

ここ最近のことですが、大学時代に知り合った在家信徒の会に久しぶりに参加したときにも、私の敬語について指摘されました。

在家信徒は他の宗派でもあることですが、私の母親の実家(私が幼いときに親元を離れて暮らしていた)の寺院の浄土真宗では特に在家信徒の考えが浸透しています。

大学は仏教系と言われることはあっても、創設者が浄土真宗の寺院の出身で、哲学を学ぶ学生が多いということはあっても、さまざまな仏教宗派の人がいて、浄土真宗に限って多かったということではありません。

大学を卒業してから5年ほどは会っていなかった在家信徒の会のメンバーと再会したときには敬語で話すようになっていました。

そして、久しぶりに会ったメンバーにも(中には45年ぶりの人も)、まだ敬語が身についていること、定年退職の年齢(従来の60歳の感覚)を過ぎて10年も経っているのに、そのままであったことを指摘されて、“三つ子の魂”ではないのですが、「死ぬまで続くかも」との話をしました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕