東京ぼん太というコメディアンを知っているのは、それなりの年齢のはずです。唐草模様の風呂敷を背負って、栃木訛りで「夢もチボーもない」というのが決め台詞でした。
「チボー」は希望のことで、その後に活躍した栃木訛りのタレントのガッツ石松、つぶやきシロー、お笑いコンビのU字工事も同様の発音をしていました。
「学びの伴歩」のテーマの連載コラムで、こんなことを書いたのは、「伴歩」という言葉を聞いて、あまり夢と希望を抱く人が多くないということを感じていることがあります。
伴歩は寄り添って歩いていくことを指していて、伴走と比べると勢いがない感じがあり、リードするというよりも相手のペースに合わせて一緒に歩いていくというイメージがあります。
そう感じさせるのは、ある意味で仕方がないことなのかもしれませんが、ただ寄り添うだけでは福祉的な感覚でもあります。才能を見つけ出し、それを伸ばしていくという思いがあっても、それも積極的な関与、プッシュアップという印象ではありません。
私たちが考える伴歩は、伴歩をされた人が当面の役目を終えて離れたら、それで終わりということではなくて、伴歩をされた人が、いつか伴歩をする側になってほしいという願いがあります。
そのためには、バトンタッチしていく体制の確立、それを維持するだけでなく、拡大させていく仕組みを作らなければなりません。そのような仕組みが確立されたときには、初期のメンバーは必要なくなるかもしれません。
それは寂しく感じることであっても、ずっと継続していく仕組みを作ることになり、それこそが伴歩を始めた人の喜び、つまり「夢と希望」をつなげていくことになると強く認識しています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕