今回のお題の「柏崎のフォッサマグナ」については以前にも少し触れたことがあるのですが、そのときには都合が悪いことを隠すといった意味合いで書きました。
そのときのポイントは、糸魚川ー静岡構造線ばかりが取り上げられて、柏崎ー千葉構造線のほうは建設物の安全性について自治体の資料からも抜けていて、学校教育でも触れられないまま来たということでした。
柏崎ー千葉構造線のことを知ったのは、高校生のときで、当時は新潟県柏崎市で学んでいました。糸魚川ー静岡構造線のほうが有名な存在でしたが、それと同時に新潟県内には柏崎ー千葉構造線もあって、柏崎と糸魚川の間は約90kmの距離でした。
この距離を何度も列車で行き来していました。というのは、中学校2年の夏から3年まで糸魚川の中学校に通っていて、父母が糸魚川市にいたので、高校生になってからも頻繁に行っていたからです。
両方の構造線がある地域に住んでいたので、フォッサマグナが生み出す地形には関心があって、中学校でも高校でも地学の教師とともに何度が歩く機会を得ていました。
フォッサマグナは弓形の日本列島の“折れ曲がったところ”というのが普通の認識で、あまり危険性は感じていなくて、大地震があっても大きな被害はないだろうという感覚でした。
柏崎では中越地震(2004年)と中越沖地震(2007年)があり、後者では私の実家が最も大きな被害を受けたものの、子どもの頃に噂されていた日本列島が切り離されてしまうというようなことにはならなかったのは誰もが知っていることです。
私が高校3年生のときに、地元選出の国会議員が総理大臣になり、上京した先の大学1年生のときの総理大臣の私邸の錦鯉の世話をすることになり、それが今に続く数多くの経験のきっかけになったことは「日々修行」の中で何度か書いてきました。
大学生のときに柏崎に原子力発電所ができることを知り(ニュースで流れる数年前)、電力会社の特別な部門への就職を話されたこともあったのですが、卒業後は東京で暮らすことにして柏崎の実家は弟に任せることにしました。
柏崎から千葉につながる構造線に何か起こったとしても原子力発電所が設けられるのは、柏崎だということは、言ってはいけないのは政治家の手前だけでなく、知っていても口に出してはいけないのは当たり前のことです。
そのことを自分に言い聞かせるときには、ネット検索で柏崎ー千葉構造線のキーワードを打ち込んで、画像(地図)で確認していました。当時に比べると、随分と柏崎ー千葉構造線は詳細な画像が出るようになっています。当時であったら、これを示して原子力発電所の反対運動が起こりそうなくらいの内容です。
それ以外にも言ってはいけないことの連続で、それは東京から離れて岡山に移住する8年前まで続きました。今では少しは“噂ばなし”程度では話題にすることはあっても、誰にも言ってはいけないことを言わなかったから今まで生き延びることができて、これからも生きていけるのではないか、と考えているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕