諺もじり4「信じるものは掬われる」

一生懸命に学ぶことは尊重すべきことで、その知識はいつまでも活かしてほしいとは思うのですが、学んだ情報が古くなり、しかも間違いとされるほどに古くなってしまったら、それは更新する必要があります。

しかし、学んだ人に最新の情報が届かなかったら、更新するどころか、情報が古くなっていることにも気づかず、間違い情報を引きずってしまうことになります。

さらに困ったことは、学んだ人が教える立場になっていて、古いままの情報を他の人に伝えることです。一生懸命に普及しようと頑張っていることが、間違いを広めることにもなりかねないのです。

特に影響が大きいのは健康に関わる情報で、医学や科学は研究の進み具合も早く、思った以上に情報が古くなりやすいので、情報更新は頻繁に行われなければなりません。健康を考えて伝えたことが、健康を害することにもなりかねないのです。

「そのことを意識して常に学ぶ必要がある」と言われても、教えた側が更新情報を発信しないことには、いくら学ぼうとしても学べないことにもなります。だから、教えた側の責任として、常に最新情報を検索して、情報発信を行う必要があります。

このことを講習で話すときに、印象を残すために諺(ことわざ)をもじった言葉を使っています。それは「信じるものは掬われる」です。これを言葉で言われても、多くの人は「信じるものは救われる」のほうを思い浮かべて、何を言っているのかと疑問符だらけになります。

そこで先に“足元を掬われる”ということを話しておいてから、「信じるものは掬われる」を繰り出します。足元だけでなく身体ごと掬われるようなことになるので、学んで身につけたことを、ただただ信じるのではない、常に間違っているのではないかと疑いながら情報更新をしていくことの重要性を伝えるようにしています。

これまでの常識は間違っているのではないかと常に疑ってかかるというのは、あまり気分がよくないことかもしれませんが、学校で学んで常識として覚えていたことが逆転したという体験談を栄養学の重鎮から聞きました。

随分と昔の体験で、終戦後に栄養士として病院に配属されたときに、医師からの糖尿病の約束食事箋(病院給食の処方箋に該当)で糖分を多くすることが指示されていたといいます。

尿から糖が多く排出されるので、それを食事で補うように指示されたということです。

現在の常識では、糖尿病は糖質の中に含まれるブドウ糖が血液中で多くなることが原因で起こり、食事では糖質を減らしぎみにするということになりそうです。

それなのに糖質を多くすることを指示されたという話をしてくれて、今の常識はいつまでも常識ではない、いつ非常識になるかわからないという戒めとして伝えられています。

これで話は終わりではなくて、病院の栄養管理では、糖尿病の予備群の人には糖質を減らしても、糖尿病になった場合には、ご飯を多くした食事が出されます。

糖尿病になるとご飯の量を減らさなければならないと思っている人には、「この病院の栄養管理は大丈夫か」と思ってしまうような驚きを与えます。“てんこ盛り”のご飯は常識はずれと思われるところですが、糖尿病患者の糖質(炭水化物)のエネルギー量での割合は40〜60%とされています。

量の多さだけでなく、20%もの開きがあることも驚きを感じさせるところですが、糖尿病が進行してくると膵臓から分泌されるインスリンの量が大きく減るために、ブドウ糖の取り込みが大きく減ります。

そんなところに糖質を減らしたら、全身の細胞が必要とする重要なエネルギー源のブドウ糖が不足して、細胞レベルからの健康が保てなくなります。だから、インスリン分泌に合わせた糖質の調整が必要になるのです。

糖尿病は血糖値(血液中のブドウ糖の量)で判断されるもので、ブドウ糖が少なければ血糖値は下がります。だからといって糖質制限をすれば糖尿病が治る、健康が保たれるというような安易な考え方をしていると、まさに足元から「信じるものは掬われる」ということになりかねないのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕