「何のために学ぶのか」という問いに対する回答は一つではなく、さまざまな考え方があってよいと認識されています。また、個人の状況によって、時々の状態によって学ぶ意義や意味が変わるということもあります。
その多くの回答(選択肢)の中でも、共通しているところが比較的多いのは「日常生活に役立つことを知る」ということです。それを否定するわけではないのですが、通じないこと、通じにくいこともあり、そのようなときには“違った目線”を持つことをアドバイスすることも必要になってきます。
その例として出されることが多いのは、身近にあるものをあげていくという社会の授業です。さらに例としてあげられる地域は、全国的に知られている電気の街の秋葉原です(今では子どもなどにはアニメの街などのイメージがあるかもしれませんが)。
秋葉原に住む子どもたちが通う小学校では、地元にある店舗や施設をあげていく授業では電気屋さんが上位(トップ)にくるのは理解できます。
秋葉原に住んでいて、離れた地域の小学校に通っている子どもが、同様の授業や試験問題があり、同様に自分が住んでいる街(地域)の店舗や施設をあげていくときに、その選択肢の中で電気屋さんが入っていなくて、他の店舗や施設もないので書くものがないということがあります。
実際に秋葉原に住む小学生の家庭教師をしていた大学生の声がSNSで話題になって知られるようになったことですが、実際に自分の住んでいる地域や毎日見ているものと違っていたときに、どのように答えていくのがよいのか、ということを教えるべきだということがあげられています。
生活環境を中心に考えるだけでなく、広く見て、それに合わせていくという「日常生活がすべてではない」という見方を教えることも大切ではないか、それが伴歩をする者の意識として大切ではないかという例となる話です。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕