学びの伴歩25 教えながら学ぶ

「教えながら実は学んでいる」ということは伝統芸の世界ではよく聞かれる言葉であり、観光ガイドからも聞くことがあります。

この言葉の意味として、穿った(うがった)考え方をする人は、「もう学ぶことがないほど上達しているわけではないのに教えている」ということを口にします。

「もう学ぶことがないほど上達していても、まだ学ぶことはある」という意味にとらえて、修業を怠らないことの大切さを伝える教訓としている場合もあります。

どちらが正しいのか、という議論をする前に、立場や伝え方を変えてみることをすすめています。全員に、ということではなくて、すすめる意味と意義がある人にだけという条件がつくことがあります。

立場というのは、例えば出演者と演出者のことで、最高峰の演者が舞台の演出を担当することで、演者としての足りないところに気づき、他の演者とのバランスが重要であることを再確認することができるということがあげられます。

これは伝統芸に限ったことではなくて、合唱で言えば歌う立場だけでなく指揮者を経験することによって、上手に歌うことと周囲に合わせることの大切さを学んで、より協調性があるハーモニーが生み出せるということがあります。

学習の場においても言えることで、教える側が学ぶ側になってみて、教え方によって理解度が違ってくることに気づいて、教えるときの工夫が必要であることがわかる、その工夫によって雰囲気のよい学習の場になっていく、ということです。

これとは逆の立場、つまり学ぶ側が教える側になってみることで、いかに教えることが大変なのか、学ぶ側の反応が教える側のモチベーションにも影響があり、学習の成果が違ってくるということに気づくことができます。

これは立場を変えなくても得られるメリットで、お互いの立場を理解して学びの場にいることで、よりよい学びの場にしていくことができる可能性があるということです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕